なぜか可笑しい 

『心中天の網島』は深刻な話ではあります。
治兵衛という男の引き起こす問題で、妻子や妻の親、さらには兄までに多大な迷惑をかけ、迷惑では済まない結末まで迎えてしまいます。
小詰役者の真似をしてまで弟を思う兄は良識のある立派な人物。真面目すぎるといえばそうかもしれませんが、やはりこういう人が社会では信頼されるのだろうと思います。
妻は子供思いでしっかりもの。夫に対しては強い愛情を持っているものの、そのしっかりぶりが治兵衛とは合わなかったのかも。それでも彼女は

    耐えて許して

なんとか夫に戻ってきてもらおうとします。
迷惑をかけるというのとは違うかもしれませんが、小春もまた治兵衛と出会ったことは幸いだったのか不幸だったのか。
しかし、三勝にいれあげる半七といい、この治兵衛といい、なぜ妻より外の女性に夢中になるのか。いや、これはすべての(……は言い過ぎかもしれませんが)男の持つ

    本能

のようなものなのかも。
それだけに三勝を妻にしたら半七はまたほかの女に目が移り、小春を妻にしたら治兵衛はまた別の女に心奪われるのかもしれません。
『寿連理の松』という他愛ない話がありますが、あの結末は清十郎がお夏とお梅を妻と妾にするというもの。それは本当の解決にはならんだろ、と思うのです。

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『網島』は、そういう、深刻で人間の奥深くを描いた話ではありますが、その一方で何か

    可笑しみ

のようなものを感じ、それがまた芝居として面白いと思うのです。
今の「河庄」は『心中紙屋治兵衛』のものですから、近松の原作とは違います。で、私はあの端場「口三味線」なんてあまり面白いとは思わないのです。だいたい太兵衛と善六というコンビに魅力を感じません。何しに出てきているのかとまで思ってしまいます。
彼らが何やら面白いことを言ったりしたりするようなのですが、そんなの芝居としては蛇足じゃないか。
それよりも

    もっと滑稽な人物

がいます。
それは治兵衛であり、孫右衛門であり、あるいは小春やおさん、おさんの母でもあります。あほうの丁稚などはどうってことありません。
真剣に生きる彼らはいとおしいのですが、それと同時に、人間の可笑しみがにじみ出ます。
治兵衛なんて滑稽の塊で、思わず笑ってしまいます。登場しただけでもおかしい。
魂抜けて出てきますが、あそこだけで滑稽です。笑ってもいいところ。『先代萩』の「おりゃあの狆になりたい」で笑うくらいならずっと。
覗き見をして一人合点して怒り狂うところも、兄にあっさり説得されるところも、それでもなお小春を蹴ろうとするところも、人間の弱み、滑稽さ。我が身を見る(かえりみる)ようで、哀しうてやがておかしき治兵衛かな、です。おかしうてやがて哀しき、でもかまいませんが。
孫右衛門も可笑しいことをしています。
小春もおさんもおさんの母も。
なぜかみんな哀しいけど、おかしい。
近松はそれらをすべて描いたような気がして、この作品の厚みを感じるのです。私はやはり『網島』は名作だと思います。

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