余談 

毎年十干十二支の話をしていて、学生に

    壬申の乱

の名称のいわれを聞くのですが、時々「高校の先生に教わりました」という人がいます。
高校の日本史の授業は時間がなくてなかなかゆっくりした話はできないと思います。本当はこういうことをひとこと教えておいていただくと子供たちはさっと理解すると思うのですが、なかなかそうは行かないのだろうと思います。高校の先生は、いや中学校も小学校もですが、なかなか大変です。
「壬申(みずのえさる)」の年はもっとも最近では1992年でした。大学3年生がその年の生まれです。あの学年の子たちには特にこの話をすると壬申の乱がいつあったかは二度と忘れないだろうと思います。
「壬申」は60年ごとにあるわけですから、1992年から60年引くとその年も壬申。大化の改新のあとだと言うことくらい知っていれば、60の倍数である1320年前の

    672年

と思い出せるはずなのです。
戊辰戦争(1868)、辛亥革命(1911)なども同じく十干十二支から来ていますからおおよその見当さえ付いていればわかるはずです。
「大きな古時計」の訳詞を書かれた人に保富庚午さんがいらっしゃいますが、この方も1930年(庚午)のお生まれです。

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私の授業はしょっちゅうこういう余談に行くのですが、学生はむしろ余談をよく覚えてくれます。
私自身、学生時代に先生が何気なくおっしゃった、直接授業と関係ないような話を覚えていたりします。
そもそも、この十干十二支の話自体が余談だったのです(笑)。ですから、余談から派生した余談が「壬申の乱」でした。
源氏物語の話をしていても、余談で当時の結婚制度のことを話したり、

    生霊、死霊

の話をしたりすると反応が違ってきます。
今は六条御息所の話をしていますので、そういう話になるのです。能の「葵の上」も話すつもりですし、

    上村松園

の描いた御息所の絵も紹介するつもりです。
この間は日本語表現という授業で若者言葉の話をして「DQNネーム」のことを話題にしました。
以前ちょっと書いたのですが、「光宙」と書いて「ぴかちゅう」という名前の男の子がいるとかいないとか。
この子が大きくなって、家庭裁判所に行って「ボク、この名前いやなんです。子どもみたいでしょ。変えて欲しいんです」と訴えます。裁判官もさすがに同情して「それもそうだよね。で、あなたは何と変えたいのですか」と聞いてくれます。すると光宙さんいわく、「はい、もう立派に成長しましたので『ライチュウ』になりたいのです」・・・。
ま、これが分かる方はかなりお若いですね。
この話をすると珍しく学生が大笑いしていました。

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コメント

うまい!座布団三枚!

高校で習いました。

でも、理解出来ないまま授業は、進みました。
頭に入ったのは、甲子園球場が出来たのが甲子だという事だけ。
それが何年かわかりません。

♪ひこにゃんさん

学生はまさにポケモン世代なので、わかってくれました。私は親としてのポケモン世代です。

♪花かばさん

私も甲子園の話はいつもします。中等学校野球大会は、豊中から始まり、鳴尾、甲子園(ちょっとだけ西宮も)と移ったのですね。甲子園は最初、「甲子園大運動場」と言ったとか。
直近の甲子は1984年でしたから、甲子園地域が開発され、球場もできたのはその60年前、1924年(大正13年)だったようです。
住大夫師匠と同い年ですね。

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