心中紙屋治兵衛(5) 

「茶屋」の段はほぼ現行の『心中天の網島』「河庄」と同内容です。言い換えると、我々は原作ではなくこの『心中紙屋治兵衛』の「茶屋」を「河庄」として鑑賞していることになります。
ですから、あらすじを書くほどのことはないと思います。
そこで、「浮瀬」との関係などについて少しだけ。
「浮瀬」の段切では、小春は河庄から呼ばれたので去っていきます。とすると、「茶屋」はその同じ日の夜の場面かと思えます。「浮瀬」では河庄へ行くというので顔を見合わせて名残を惜しんでいました。しかし、「茶屋」では、治兵衛は煮売り屋で

    小春の沙汰

を聞いて侍客で河庄にいると知るのです(近松の原作に同じ)。また、小春の行灯から背けた顔を見て治兵衛「痩せたなぁ」と思ったり(これも近松の原作に同じ)もしており、いかにも長く会わないような形になっています。思わず「あんたさっき『浮瀬』で会うてじゃらじゃらと話してたやろ」と突っ込みたくなりました。
太兵衛に二十両の返済を迫られた時は「それはこの間、石町の御出家に」と言っており、「この間」というのは今日という感じではありません。その他あれこれありますが、ひょっとして、「浮瀬」から「茶屋」までにはかなり日数がたっているのでしょうか。あるいは作者はそんなことをあまり気にせず、むしろ近松の原作を生かしたためにやや無理が生じた、というようなことでしょうか。こういうのは改作をしっかり勉強されている方ならお分かりのことと思います。

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ところで、現行「河庄」の冒頭には「口三味線」がありますが、これは「茶屋」にもあまり明確には出てきません。
「茶屋」では「棕櫚胴に竹の丸棹」も「竹本善六太夫」も「一聞かしてんか」も「ポコペン」もありません。つまり浄瑠璃を語ると言う形ではなく、「時花文句(はやりもんく)」として善六が語るだけです。
写してみると、

  頃日仲衆仲間の時花文句。小春もよふ聞きや。
  コリヤ善六。覚へた通りやつて見い。結ぶの神
  の紙屑に貧乏紙屋の治兵衛の。女房のおさんに
  子のある其子の洟たれお末に勘太郎ドツコイ。
  すそ貧乏。小春に命ちり紙の紙子姿ぞやくたい
  し。モウよいく。小春何ンとよい文句で有ふが
  のと悪口雑言

ということになります。
これが今の「河庄」では

  「・・この頃仲衆仲間のはやり文句、コヽヽヽ
  小春もよう聞きや。ヤコリヤ善六。そこへマア。
  我、覚えた通り、やつてみい」
  「ヲット承知の助ぢや。やるやる。が、素では
  ちつと間が抜けてやりにくいな。ムヽ太兵衛様。
  おまはんあの、ずるてんあしろうてんか」
  「エヽずるてん、ヲヽよし、よし。ムヽ。幸ひ
  ここに箒がある。これでやつてやらう」
  「ええ箒。ハヽヽヽええ三味線ぢやな。ア、ド
  レドレちよつと拝見をいたさう。ヨオ、棕櫚胴
  に竹の丸棹とけつかるわい。ハヽヽヽ」
  「サアサアみなに聞かすのぢや。精一杯に張込
  んでしつかりやつてくれ、やってくれ」
  「そんなら一寸調子聞かしてんか」
  「ヲットこんでる、こんでる」
  「マア一聞かしてんか一を」
  「ヨシ、ソリヤ、一ぢやぞ。ドンドンドンドン」
  「御堂様の太鼓のやうな音ぢやな。アハヽヽヽ
  サア、そんなら二聞かしてんか」
  「ヨシヨシ、トントントントン」
  「ア茶屋の段梯子登つてゐるやうな音ぢやな。
  アハハ、三聞かしてんか三を」
  「ヲツト三ぢやな、ア、テン、ア、テン、テンテン」
  「ア、まるで紙屑屋のおんごくちやがなハヽヽヽ。
  一寸口上言ふは、口上を。エヘン。東西々々この処
  にて語りまするは、紙屋治兵衛、紀の国屋小春、つ
  まらん菊浮名の蜆川。相勤めまする太夫、竹本善六
  太夫。三味線さぐり沢太兵衛様。東西々々々々々」
  「アペンベンベンペンペンペペンペン・・・」
  「結ぶの」
  「ペン・・・」
  「神の紙屑に貧乏」
  「ポコペン」
  「紙屋の治兵衛の女房のおさんに子のある、その子の
  洟たれ、お末に勘太郎」
  「ヲツトドツコイ。」
  「すそ貧乏小春に命ちり紙の紙衣姿ぞやくたい紙」
  「チヤチヤン・・・。ヲツト善六もうよいもうよい、
  もうよい、小春殿。なんとよい文句であらうがの」と
  悪口雑言

というわけで、長いの何の。
原作はここで太兵衛が連れ衆とともに河庄に入って「転合念仏」を始めます。

  えいえいえい・・。紙屋の治兵衛、小春狂いがすぎ
  原紙で一分こはんしちりちり紙で内の身代すきやれ
  紙の鼻もかまれぬ紙くず治兵衛。なまみだ仏。なま
  いだ、なまみだ仏、なまいだ・・・

だけです。「紙づくし」になっています。
孫右衛門に縛られた治兵衛を太兵衛が見つける場面も近松の原作では簡単ですが、「茶屋」では二十両の証文の話になります。近松の原作では「生き掏摸」「どう掏摸」「強盗(がんだう)」「獄門」と治兵衛を罵ったので孫右衛門が現れて蹴散らすだけです。もちろん善六など出てきません。
起請文のくだりでは、孫右衛門は小春の懐に手を入れて治兵衛から送られた起請文を取り出しますが、近松の原作では治兵衛が小春に「兄貴へ渡せ」と言い、小春も「心得やした」と素直に渡します。そして孫右衛門が数を数えると治兵衛のものと合わない。一通余分があるのです。それがおさんからの手紙でした。
段切も、原作は治兵衛が小春の額際を一つ蹴って出て行きますが、現行の「河庄」では治兵衛が兄に「帰りましよ、帰りましよ、どりや帰りましよかい」と言った後、

 「先へ行きや」
 「ハイ」
 「先へ行きや」
 「ハイ」
 「エ、行きやいの」

 「兄者人。どうもここが堪りませぬ。今生の思ひ出に
 たつた一つあいつが面を」と、走り寄れば、
 「ア、こりやこりやこりや、何とする」
 「イヤなにもしやいたしませぬ。一寸言ふだけでござ
 ります」
 「そんならええか」
 「ハイ」
 「ええなア」
 「ハイ」
 「エ、言うても言はいでものことを」
 「ヤイ赤狸め。おのれゆゑに面恥かき、足かけ三年と
 いふもの、恋しゆかしいとし可愛も、今日といふ今日、
 愛想が尽きたわい。たつたこの足一本の暇乞ひ」と、
 額ぎははたと蹴て、

などというやり取りがあったり、小春が、
 「もうこりやどうも、いつそ心を打明けて」
と言うので孫右衛門が
 「アア、コレコレコレ、蹴られうが擲かれうが、そこ
 をぢつと辛抱せずば、この状の客へ義理が立つまい、
 イヤサコレ立つまいがのコレ、小春殿」
と制したりします。「茶屋」は「先へ行きや」「はい」・・や「そんならええか」「はい」などのやりとりはなく、こういうところは歌舞伎からの逆輸入でしょうか。

長々と書きましたが、私は一度原作の「河庄」を見てみたいなぁ、と思います。

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