原文の力 

学生に源氏物語の話をしていますが、ほとんどが概説です。しかし毎回10行くらいは原文を読んでいます。
意味よりも

    音を大事にする

つもりで音読しています。
もちろん平安時代の発音は今とは全く違います。
イントネーションも現代共通語で読んだのではまるで違うものでしょうし、音自体も今とは異なったものが多いのです。
よく知られるのはハ行で、今はハヒフヘホと発音しますが、平安時代はファフィフフェフォのような発音でした
(厳密に言うと「f」の音ではないのですが)。
ダ行も今はダジズデドですが、当時はダディドゥデドのような感じ。その他かなり違いますので朗読と言っても当時の読み方では何がなんだか分かりません。そこでやむなく

    現代共通語

の発音で読んでいます。私の場合はかなり関西なまりだとは思いますが。

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今この授業に出てきている学生は食物栄養学科なのでどちらかというとこういのは苦手な者が多いのです。
しかし、意味は分からなくていいから、雰囲気だけ味わってください、ということで聞かせています。
そんな事に意味があるのか? と思われるかもしれませんが、これは絶対にあると思います。英語の詩だって原文で読めば意味がわからなくても感じるものはあるでしょう。
先日読んだのは

    賢木巻

でした。光源氏の妻葵の上が亡くなり、それが自分の深層心理のなせる業であることを察した六条御息所は娘とともに伊勢に下る決意をします。娘は伊勢斎宮になっており、いつ戻るとも分からぬ東の旅に出る定めなのです。
その潔斎を嵯峨の野宮でおこなっているので、光源氏はもう会えなくなるかも知れない御息所を訪ねます。晩秋の寂しい風景です。

    遥けき野辺を分け入りたまふより、
    いとものあはれなり。秋の花、
    みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れ
    なる虫の音に松風すごく吹き合はせて、
    そのこととも聞き分かれぬほどに
    物の音ども絶え絶え聞こゆる、
    いと艶なり。

これを読んでみますと、学生は「意味は分からないけど寂しさが伝わる」「御息所の心の風景を表現しているようだ」などといっていました。
こういうことを感じさせる紫式部の筆の力はやはりただならぬものだと思います。

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