せめてプチブル 

貧しい生活をしていると、どうしても文化的な物事にお金を割きにくくなります。
まずは食べるもの、私の場合は医療費もバカになりません。着るものと住むところは我慢(笑)。
衣食足りて文化を知るならば、やはりある程度は収入がないと文化にお金は回せません。
世に

    評論家

という人はあまたあります。
そういう方を見ているとやはりそれなりにきちんとした生活をされている方が多いように思います。
早い話がそこそこの収入のある方ですね。
それによって本も読めるし

    専門外の芸術

にも触れうる。そういう蓄積があってこそ専門分野に筆が振るえるというものだろうと思います。
私はこれまで自分を評論家などと思ったことはありませんし、文化人と称したこともありません。
謙遜しているのではなく、自信がないのです。
もちろんお金だけの問題ではありません。取材力も大事、勉強はもちろん大事。行動力、分析力、表現力、さまざまな要素が必要です。
考えてみたら、私にはひとつとしてないのです(_ _|||) 。

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マスコミの方は、取材ということでけっこう自由に劇場に出入りできるようです。
以前某新聞社の文化部の記者さんが「『○○新聞です』といえば入れるんですよ」と言っていましたが、まあそういうことはあるでしょうね。いわゆる

    木戸御免

ですね。
私のように割引券を駆使して1円でも安く入場しようとするなんてけちな話です。
最近は使わない言葉かもしれませんが、高校時代に面白半分に

  ブルジョアジー とか プロレタリアート

という言葉を使って戯れていました。早い話が小遣いが多いか少ないか、親が金持ちかどうか、というだけの話でしたが。商売をしている家は小金持ちが多かったですね。医者はもちろん、弁護士とか、一流企業の部長さん、中小企業の社長さん、両親共稼ぎなど。
私は当時からプロレタリアート(笑)。どうもその時の癖(?)が今に続いているようです。
マジメな話なのですが、やはり評論家などという人はある程度のブルジョアあるほうがいいと思います。
大金持ちでなくてもプチブルジョア程度でいいのです。
その領域からはるかに遠い私は、今日も貧困と戦いつつ(笑)、図書館の本とあるはずもない自分の能力をあてにして前向きに生きるほかはありません。

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コメント

勘違いする才能

99努力しないと残りの1%の才能があるかどうか分からないのに99の努力をし続けるためには、1%の才能があると「勘違いしてでも頑張る才能」がないと頑張りきれないよと、若い時から思っていてかれこれ何年やら・・・才能があると思い続けるのもタイヘンですよね(笑)

♪方寸生一さん

なるほど。私の場合は才能がないことはすでにわかってしまったのですが、わからないふりをし続けています(笑)。
これまた大変なのです(笑)。

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