ハットの日(続) 

ハット関連の話の続きです。

平安時代の貴族のかぶりものには冠と烏帽子があります。
礼装の束帯姿の時には冠を着けました。前頭部は「額」、後頭部のほうで立っているのが巾子(こじ)です。巾子に突き刺さっている横棒は笄(こうがい)、後ろに垂らすのが纓(えい)です。巾子の中に髷を入れて、笄で貫きます。ですから落ちることはありません。
武官は纓などを垂らしていると活動できませんから、巻纓(けんえい)といって巻き上げます。さらに冠が落ちないように懸緒(かけお。あごひも)で固定します。

冠
↑冠

相変わらずひどい絵ですが、『源氏物語絵巻 夕霧』(五島美術館)に描かれる夕霧(光源氏の子)です。彼の自宅で手紙を読んでいるところです。

手紙を読む夕霧

烏帽子は日常のかぶりもので、カラス色をした帽子ということです。二枚の半円形の布を縫い合わせたもので、紐をつけて髷に留めます。元は絹などを使いましたが、後には紙に漆を塗りました。そういえば『妹背山婦女庭訓』の藤原淡海は烏帽子職人其原求馬に身をやつしていました。庶民も烏帽子は必要でしたから、烏帽子職人もいい仕事になったのでしょうね。
文楽で烏帽子と言うと、加藤正清(加藤清正)も思い出します。そうです、彼の兜は烏帽子形(えぼしなり)でした(⇒参照)。

烏帽子
↑烏帽子

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平安時代、かぶりものをしないのは非常識で、人前では室内であっても冠や烏帽子を着けたのです。着けていないとハッと驚かれたそうです(くだらない・・)。
東京国立博物館にある『東北院職人歌合絵巻』には博打で負けて素っ裸にさせられた男が烏帽子だけはつけているという絵があります。烏帽子は最後の最後まで着けていたのですね
『今昔物語集』巻28には清少納言の父、清原元輔が落馬した時に冠が落ちて髻がなかったために人々に笑われた話があります(このあと元輔はしっかり言い訳しますが)。
病気見舞いに来てくれた友人に会う時も烏帽子を着けている絵が『源氏物語絵巻 柏木二』(徳川美術館)にあります。またまたひどい絵ですが、左に横たわっているのが重病の柏木、右にいるのが夕霧です。夕霧は冠を着け、柏木は烏帽子を着けています。

f柏木と夕霧

『伴大納言絵巻』(出光美術館)には清和天皇が冠をつけないままの姿が描かれています。全くの例外で、緊急事態と言うことをあらわしているようです。

冠をつけない清和天皇

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コメント

時平公とお雛飾りと立纓と

その昔、博多座で「菅原」が上演されていた時に勘十郎さんの直々の解説が有った頃、加茂堤の段の時、時平公の冠のひらひら、ああ真直ぐなのは天皇しか被れ無いのです、と解説して居られました。

後日になって、ちょいと調べ物の序に調べたのですが、あの冠は立纓(りゅうえい、りつえい、では無く。ましてや京都の某大学では有りません、)と言うもので、近世以降の天皇の被り物らしく。
大正、昭和、今上の陛下の大礼の時の写真を見てみるとあそこまでキンキラ、ピン、と伸びては居ないものの、確かにそれと同じものでした。

そして今年の2月辺りだったか、雛人形を出してくれ、と言う母のリクエストに応え、妹の雛人形を出してみましたが、お内裏様とお雛様、さて、どっちに置こう、か迷い、間違いであれば、うちは京都風に飾っております、と誤魔化そうとも思って居ましたが、参考にしたのは平成の大礼の時の高御倉と御帳台の配置を参考にしました。

お内裏様の冠を発掘した時にまさに立纓、でしたのでお内裏様、ってやっぱり天子様だったんだ、と妙な感動を覚えました。
但し、束帯は有り得ないデザインでして。余談ですが、「八重の桜」にて染五郎丈扮する孝明天皇が通常の詮議において黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)をお召しになって居るシーンを観て、おお、と思った次第、です。但し、立纓だったかは確認出来ませんでした。

採点の前に藤十郎先生にお聞きしたいのですが、あの時平公の冠、やっぱり近世の感覚であのようになって居たのでしょうか?

添削と採点、お願いします。

♪しろくまさん

関係する資料を大学に置いてきたので、きちんとしたことは申せませんが。
立纓はいかにも近世(以降)の天皇ですね。私の馴染んだ平安時代とはかなり雰囲気が違います。
平安時代、纓はだらんと垂れていましたが、後に纓壺というところに入れて一度持ち上げて、だらりと下がる形になったようです。
源氏物語絵巻の柏木を見舞う夕霧を見ると持ち上がっていませんよね。
次第に纓は上に上がるのがはやり、その極致が立纓と言えるでしょうか。
時平はもちろん江戸時代の形式美で、およそ10世紀の人とは思えません(笑)。

勉強になりました

実は衣冠束帯のスタイル、あれは約千年同じ、と思って居ましたが、本文と併せ、勉強になりました。

確認の為に近代歴代天皇の衣冠束帯の写真をネットで見ていましたら、明治天皇のそれ、が出て参りました。
撮影時期は不明、ですがこれがまさに時平のような「立纓」でした。

今上陛下の即位の礼の時には束帯屋さんが少なくて総理大臣も燕尾服、と聞いてましたが、あれも昭和天皇のご在位が長過ぎたせいでしょうか?

因みに初めて京都に足を踏み入れた時、御所の丸太町通沿い辺り、即ち南の方に束帯屋さんを見つけ、ぶったまげました。

♪しろくまさん

井筒さん(「風」「俗」博物館でも知られる←「風」と「俗」を続けて書くと不適切投稿になってしまいます。変な意味じゃないのに)もそうですが、神社の需要はあるでしょうね。

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