若大夫の弟子 

いつもと違って、私の覚書です。

十世豊竹若大夫(1888~1967)は、徳島の人。金平糖などを商う店のボンだったそうです。お父さんが義太夫好きで、家に三味線弾きさんを住まわせていたという力の入れよう。
ボンも語ってみなさい、といわれて語り始めるとほめられるのでどんどん上達したそうです。
やがて、二代目の豊竹呂太夫師匠に入門して太夫の道を歩み始め、初名を本名の英雄から英太夫としたそうです。
文楽に入ると大序を難なく抜け、猛稽古で力をつけたようです。31歳の時、七世豊竹嶋太夫を襲名しますが、そのあと43歳で三世呂太夫を襲名します。これは意外な襲名で、あの

    杉山茂丸(其日庵)

から苦情が出たそうです。嶋太夫の名を何だと思っているのか、ということです。どうやら、二世呂太夫から言われていたことらしく、三世を襲名したような感じです。杉山茂丸は「それなら将来は若太夫を継ぐつもりで精進せよ」と励ましたそうです。
おそらく嶋太夫時代に入門したと思われるお弟子さんに千鳥太夫、英太夫(二世)があったようですが、あまり活躍されていないようです。
呂太夫になってからは呂賀太夫というすばらしいお弟子さんができました。
坂本竹一さん。明治42年淡路島の生まれ。昭和15年に呂太夫門下になっていらっしゃいます。昭和18年には松竹の白井松二郎の名から一字もらって松太夫を名乗り、35年には

    三世竹本春子大夫

になったかたです。
呂和太夫というお弟子さんもあったようですが、よく存じません。
昭和23年には、昭和7年愛媛生まれの村上五郎さんが入門されます。やはりこのかたも呂賀太夫を名乗られ、29年には四世呂太夫を継がれます。昭和30年、いったん廃業されますが、若大夫没後の昭和43年に春子大夫門下として復帰されて

    八世嶋大夫

になられました。我らが嶋師匠です。

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三世呂太夫は昭和25年にはついに

    十世豊竹若大夫

となられたのでした。
そのあとに入門されたお弟子さんには、ですから、「若」の字が付きます。
群馬県前橋の生まれの青木正さんは昭和20年生まれ。なんと7歳で入門されたのです。
豊竹若子大夫。学校の長期の休みの時は住吉大社の近くの若大夫家に滞在して稽古されたとか。
昭和42年に五世呂大夫襲名。あの呂大夫さんです。
もうひとり、37年に入門されたのが豊竹若治大夫さん。二年後には三越劇場で初舞台。しかし、若大夫没後の昭和49年に歌舞伎に移られ、

    竹本清太夫

を名乗られました。
ついこの間、9月1日に78歳で亡くなりました。
こうしてみると、若大夫のお弟子さんでご健在なのは嶋師匠だけになりました。

若大夫といえば、「合邦」を思い出します(といっても録音です)が、あのすさまじい語りがこんにち残っているかというと、さてどうでしょうか。
聴き終わったあと「ふぅ」とため息をつくような浄瑠璃。

お弟子さんではありませんが、ご令孫が三世英大夫さん。何とかこのかたに頑張っていただいて、芸の継承をお願いしたいと切望しています。

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