富嶽 

今年は富士山が話題になりました。
もちろん、世界文化遺産に登録されたことですね。
関西にいると、富士山を実際に見るのはなかなか大変です。普段接するとしたら絵か写真。
太宰治の小説はあまり熱心に読んではいませんが、

    「富嶽百景」

はいくらかまじめに読んだほうかもしれません。
やはり絵では北斎の「富嶽三十六景」でしょうか。これも永谷園のお茶漬け海苔についていましたし、広重の「東海道五十三次」とともに子供のころから馴染み深いものでした。どちらも切手にもなりましたよね。クロード・モネら印象派の画家に強い影響を与え、あの「神奈川沖浪裏」はドビュッシーの交響詩「海」のスコアの絵にされました(浪の部分のみ)。

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葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

広重の

    「名所江戸百景」

にも富士山は出てきます。当時の江戸の人にとって、富士山は信仰の対象であり、その身近さは現代人とは比較にならないものでした。それにしてもずいぶん大きく描かれています。「するがてふ(駿河町)」なんて、富士山が町を覆う帽子、いや、町を守る

    

のように見えます。

駿河町
歌川広重「名所江戸百景 駿河町」

日本橋雪晴
歌川広重「名所江戸百景 日本橋雪晴」

「日本橋雪晴」(これも切手になりました)でも左奥に山肌の見えない真っ白な富士山が大きな姿を見せます。
私、東京から富士を見たことがないのですが、あんなに大きくは見えませんよね。

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広重の「名所江戸百景」というと、目黒の

    富士塚

も描かれています。
要するに富士に見立てた人造の小さな山、築山です。
「目黒元不二」「目黒新富士」がそれです。

目黒裳戸不二
歌川広重「江戸名所百景 目黒元不二」

目黒新富士
歌川広重「江戸名所百景 目黒新富士」

江戸にはたくさんの富士塚があったそうで、東京のかたはよくご存じでしょう。
富士山はこういうものをつくりたくなるほど身近で、しかし遠い山だったのですね。
文楽の

    伊賀越道中双六

の「沼津」でも、もちろん富士山が見えます。というか、我々は富士に見下ろされています。身なりのよい颯爽たる十兵衛とむさ苦しいと言われそうな雲助の平作。しかし二人は実の父子。かつては平三郎としてこの父に育ててもらった十兵衛です。娘(およね。十兵衛の実妹)の夫(和田志津馬)が父の敵と狙う股五郎の居場所を教えてもらおうと自害する平作。ついに十兵衛も「股五郎が落ち着く先は九州相良。道中筋は参州の吉田で会うた、と人の噂」と伝えます。雨が降ります。十兵衛は父を笠で覆います。「親父様、平三郎でございます……」。泣けます。とにかく泣いてしまいます。今こうして書いているだけで涙がにじみます。見上げるほど大きくたくましく、何でも知っていた父が、今目の前で小さくなって弱々しく命を終えようとする。
自ら笠となって息子を育てた父が、今はの際に息子に笠を着せてもらって

    なまいだ

を唱えて息絶えます。こうして命はつながるのだ、と思います。そして、彼らの後ろには、すべての人間の笠になってくれる富士山があります。

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コメント

富士塚

神田明神、品川神社、南千住の素戔嗚神社と石浜神社にありました。富士の溶岩を積み重ねて富士まで行けない人が登ったらいしです。江戸時代に富士講が流行った時期にあちこちにできたみたいです。
他にもあった気がしますが忘れました。
神田明神、品川神社にもありました。

♪花かばさん

さすがは江戸っ子の(違いましたか?)花かばさん、よくご存じですね。いろいろ数えると100箇所以上もあったとか。二十三区内だけでなく、多摩のほうにも。
富士講の碑なども残されているようです。

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