お伊勢さん 

この秋、何人の友人知人が伊勢神宮にいらしたかわかりません。
学生も行ったと言っていました。それなら勉強して授業で取り上げるべきですが、今は余裕がありません。
今日は伊勢内宮の

    式年遷宮

ということ(外宮は五日)で、新聞やおそらくテレビでも話題になるでしょう。

伊勢参宮は江戸時代もとても盛んで、享保年間(1716~35年)の記録(伊勢山田奉行の報告書)では年間50~60万人ほどが行ったらしく、しかも一月から四月頃にその7~8割が集中したのだとか。気候もようなってきたし、お伊勢詣りでもしようやないか、と、落語の「東の旅」は始まりますが、まさにその時期です。江戸からの参拝といえば弥次郎兵衛と喜多八、弥次さん、喜多さんでしょうか。
さらに、式年遷宮の年はその何倍もの人が行き、おかげまいりの時は最高500万人にのぼったといいますから驚きです。

ちなみに、享保年間というと、もうあの

    赤福

は創業していました。なにしろ、富士山の宝永の噴火の1706年(=宝永山ができた年)に創業されたそうです。
近松門左衛門(1724年没)は食べたことがあるのでしょうか。
伊勢詣りはもちろん参拝が目的ですが、実際は大きな顔をしてできる遊山の旅でもあったわけです。
それにしても、男女を問わず旅をしていますから、江戸時代ね旅はなかなか安全だったのです。
『伊賀越道中双六』に出てくる藤川新関のお袖ちゃんの茶屋もいい商売になったのでしょう。
もっとも、助平のようなセクハラの飛脚はいたかもしれませんが。

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伊賀生まれの芭蕉もなんども伊勢には行っています。江戸に下ってからも、『野ざらし紀行』『笈の小文』の旅などで立ち寄っています。
『野ざらし紀行』は母親を亡くした翌年の貞享元年(1684)秋八月(芭蕉41歳)に江戸を旅立って東海道から伊勢に回り、伊賀、吉野などを経て京へ、そして近江街道経由で名古屋に出て、ふたたび伊賀(ここで越年)、奈良、京、そして東海道を下るという旅でした。
  野ざらしを心に風のしむ身かな
まだ41歳なのに、と思いますが、覚悟の出発という感じさえしますね。
しかし旅は順調に進み、八月三十日には伊勢で

    三十日月なし千歳の杉を抱くあらし

を詠んでいます。このあと伊賀に帰って亡き母を思いつつ兄に会い、自分たちもまた老いつつあることを確認しあうのです。
『笈の小文』の旅は貞享四年から五年、芭蕉44歳から45歳にかけての旅です。
伊勢へは45歳の春に行っています。

    梅の木に猶やどり木や梅の花

新たな生命の息吹というか、命の継承というか、春らしいです。雪堂という人物(伊勢の神官)に会って、父から俳諧を受け継いでいる彼の今を詠みこんでいます。
伊勢の旅をなさった皆さんは何か一句吟じたりなさいましたでしょうか。

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コメント

先日伊賀にかえって

式年遷宮のお白石持ちに行ったと近所の人が、話題にしてました。
東北からは、バスを連ねて来ていたみたいです。
調べてみたら、ドナルド・キーンさんも参加されたみたいです。
三重県民はお伊勢さんの地元と云う事で特別みたいです。(私は其れ程ではないですが)
9月の中に、内宮にお参りしましたが、暑くて参りに行くのにまいりました。
また伊賀の話しですが、誰も外宮には、行かないと言うんです。理由は、駐車場が狭いからと車だと内宮に行きやすい。との事でした。近鉄だと楽なのにと思うのですが、駅から遠いから車だそうで、何と無く罰当たりな感じもしました。

忘れてました

肝心の俳句ですが、芭蕉翁の地元出身ですが、廃人になっても俳人とは程遠いです。

♪花かばさん

なるほど、お白石持ちで参加するというのもありますね。あれも暑い時期で大変でしょう。
今は車で、になりますね。本来、寺社参りは歩いていくもので、道中苦労するほうがよいのですが。
私、本日学生に式年遷宮の話をしてきました。にわか勉強でしたが。

伊勢志摩

先月末に志摩・賢島に一泊二日で行きました。行きに伊勢神宮に少し寄ったら団体客・個人客で相当な人出。翌日志摩マリンランドを訪れたら人は少なく余裕の鑑賞スペースでした。規模は大きくないけれど工夫をこらしたいい水族館でしたよ!

♪野崎小町さん

野崎小町さんもいらっしゃいましたか。
ほんとうに多いですよ、私の知り合いで今秋伊勢にいらした方は。
私も遊びにいきたい、と思うのですが、なかなか。

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