伏見区 

平安時代、伏見のほうはあまり目立たない土地です。やはり京の都からは遠く、草深い地、という感じがします。その名のとおり、「深草」がありますが、伊勢物語に出てきます。深草で共に暮らしていた女を、そろそろ飽きてきた男が、「年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ」と詠み送り、女が「野とならば鶉となりてなきをらむかりにだにやは君は来ざらむ」と返した、という話です。
男は、「私が出ていったら、いっそう深草は草深い野となってしまうだろうね」と言い、女は「野となったら、私は鶉になって鳴(泣)いています。そうすれば、仮に(狩に)でもあなたが来ないということはないでしょうから」と答え、男は出ていくのをやめた、というのです。
藤原俊成の歌にも

  夕されば野辺の秋風身にしみて
    鶉鳴くなり深草の里

があります。
そんな平安時代の様子とは違って、伏見城ができて伏見は賑やかになります。
淀川の水運がさかんになり、京と大坂をつなぎ、南は宇治から奈良へ。宿場町としても栄えます。もちろん、酒造りも忘れられません。
今日あたりノーベル賞受賞決定か、と期待される(→ダメでしたね。10月10日午後8時過ぎ付記)

    村上春樹

さんは、西宮や芦屋で育ちますが、生まれは伏見です。

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淀川の水運というと落語の「三十石」もそうですね。
伏見の平戸橋などから大坂に向かっては下りですから楽ですが、上りは綱で引いて上り、船賃も高かったのです。三十人くらいが定員だったようです。枚方あたりでは、くらわんか舟がものを売りに来たりしました。「ごんぼ汁くらわんか♪」。
幕末には寺田屋で騒動も起こりました。

    坂本龍馬

はこの伏見を闊歩したのですね。
『伊賀越道中双六』「伏見北国屋の段」はここが舞台になります。「軒を並べし舟宿の客に絶え間もなかりけり」といいますから、やはりにぎわったのですね。この場面では志津馬、政右衛門、瀬川、十兵衛らがごっそり出てきます。それぞれのドラマをかかえた人たちがここに会することで大団円を迎える準備が整うかのようです。
股五郎は「巨椋堤を伊賀越に志州鳥羽の湊より大回しにて九州相良へ」。そこで伊賀越で本望を遂げようと決します。

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