阿仏尼 

鎌倉の話をもう一つ。
学生時代に鎌倉に行った時、思いがけず

    阿仏尼の墓

に出遭いました。まったく目的にしていなかったので、そんなものがあるとも知らず、扇ヶ谷を歩いていてばったり出くわした、という感じでした。
阿仏尼は『十六夜日記』の作者として知られますが、もともと歌人として名のある人物です。
我々はつい兼好法師は『徒然草』、鴨長明は『方丈記』の作者といってしまいますが、彼らの文学活動も本来は歌人としてのものでした。
さて、阿仏尼は女房暮らしをしたあと、藤原定家の息子である為家の側室になって、為相を生みます。為家の息子には為氏(二条家)もあり、為家が亡くなると播磨国細川庄をめぐって相続争いが起きます。その訴訟のため阿仏尼は鎌倉に下り、その道中に書いたのが『十六夜日記』でした。
彼女は月影ヶ谷に居を置きます。
今も江ノ電線路脇に阿仏尼の旧跡という碑が建っています。

    稲村ヶ崎

も遠くありません。ここは稲村ヶ崎の戦いのあったところであり、仮名手本忠臣蔵では塩冶浪人はここで上陸して師直邸に討ち入りしたことになっています。

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前回も、その前に行った時も、稲村ヶ崎には立ち寄っておらず、ここもぜひ行ってみたいところです。
藤原(冷泉)為相は件の訴訟のために鎌倉と京を行き来しますが、晩年は鎌倉に住みます。この人の末裔が現在の冷泉家です。
為相の墓は鎌倉の

    浄光明寺

にあります。JR横須賀線鎌倉駅の北、鶴岡八幡宮から見ると西側になります。
そして阿仏尼の墓は浄光明寺とはJRをはさんだ位置、いわゆる「やぐら」の中にあります。洞穴のようになっているのですね。これを見つけたときは本当に偶然の出会いだとびっくりしました。
高浜虚子や森田愛子の墓のある寿福寺もすぐ近くです。

というわけで、腰越、七里ヶ浜、稲村ヶ崎、極楽寺、由比ヶ浜、鎌倉と、

    江ノ電

に乗り続けるんだか、ひたすら歩くことになるのか、あのあたりをまた散策してみたいと夢を抱いています。こうなるとやはり一泊くらいしたいですね。
夢に終わるのか、大逆転で実現するのか、神のみぞ知る、というところです。

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