命日 

私事ではありますが、今日10月28日は

    亡父の命日

です。
平成3年でしたから、もう22年になります。
私の長男が生まれた直後でしたが、当時広島にいたため、長男を見せることもできないままでした。
その長男は180cmの大男に(最近は珍しくはないですが)なり、月日の移り変わりを感じます。
父には孝行をした覚えがありませんので、いつかあの世で出会ったら顔をあわせるのもつらいのです。
私の子供時代は朝早く家を出て夜遅く帰る、典型的なモーレツサラリーマンでしたからあまり会わないのです。休日はゴルフでしたし。
その後、父はずっと東京にいて、余計に会わなくなり、さらに定年で帰ってきたら私が入れ替わりで広島へ。
縁が薄かったかな、と。
いつも

    伊賀越の沼津

を思います。
どちらかというと私が平作のようにみすぼらしい雲助で、父は颯爽とした十兵衛なのですが(笑)。
それでも、離れていながら、心にはひっかかる存在として十兵衛の心境も味わいました。

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浄瑠璃は命を繋ぐ芝居だと思っているのです。
伊賀越はもちろん、忠臣蔵も菅原も妹背山も一谷も。死ぬことで生きようとする心中ものの人物たちも。
どんなにしんどくても

   命を繋ぐ

ために精一杯の努力をする。
子育てはそのひとつであり、子を持たないかたも、何かに打ち込むことで命を繋げようとするのではないか。
不条理なことに、時として我が命を繋ぐものを絶たねばならないこともある。文楽の子殺しは残酷だという人もありますが、その不条理を見せてしまうのが文楽という芝居だと思います。
我が子(自分の命を繋ぐもの)を犠牲にして何かの命を繋ぐ。人形だから、語り芸だからできる芝居です。
私は父から命を繋げてもらいました。しかしそれを大事にできないまま終わりそうです。
さいわい、我が子は元気で

    夢を持って

生きているようで、亡父の命をどうか君が繋いでくれ、と内心願っています。

「いのち」は「い(息)+の+ち(霊、勢)」のことで、あらゆる生物を生かす根本の力のことです。「ち」は雷を意味する「いかづち」、つまり「いか(厳)+つ+ち(霊、勢)」の「ち」と同じです。その霊力、勢力を呼び覚まそうとするのが浄瑠璃の根本ではないか。だから、たとえ悪声でも音程が不安定でも、我々は十世若大夫や四世津大夫の語りに感動したのではないか。

父は住大夫師匠と同年代、玉男師匠に似たちょっといい男だったようです。

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