紅葉 

藤原公任という人はたいへん才能のある人でした。
藤原氏の小野宮家と言われる一門で、父は関白藤原頼忠。お父さんの名前は「らいちゅう」でも公任は「ぴかちゅう」ではありません。お父さんも本来は「よりただ」と読むのでしょうし、公任は「きんとう」です。
姉に遵子がいて、この人は円融天皇の中宮になりますが、皇子を産むことはできませんでした。ということは頼忠一家は天皇の外戚になり得なかったことを意味します。
場合によっては彼もまた第一人者の地位に上ることができたかもしれなかったのですが、そんな事情もあって、それは叶いませんでした。
若い頃は同い年の藤原道長より出世も早く、双葉より芳しかった文才も道長やその兄たちを凌駕していました。
しかし、時代の流れは彼に味方せず、いつしか道長の一族に追い越され、ついには

    道長傘下

で歌人、文人として生きていく道を選ばざるを得なかったようです。道長が権力を握ると、公任のほか、藤原斉信、源俊賢、藤原行成らが脇を固めることになります。
行成は名筆として知られ、この道では誰も叶いません。
他の貴族が競えるのは音楽、漢詩、和歌など。公任はこの道すべてに通じていたと言われます。
あるとき、嵐山の方に出かけた貴族たち。大堰川(桂川)に船を浮かべて、「楽の船」「漢詩の船」「和歌の船」を浮かべました。公任は和歌の船に乗って

  小倉山嵐の風の寒ければ
    紅葉の錦着ぬ人ぞなき

の歌を詠むのですが、「この歌くらい高いレベルの漢詩を詠めばよかったかな」と悔しがったそうです。
これは高校の古典の教科書にも載っているかも知れません。
彼はこの三つの技芸全てに優れていたようです。今でいうと太夫、三味線、人形が全部できる鶴澤清志郎君みたいなもんですかね。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

紅葉の季節です。公任が「嵐の風の寒ければ」と詠んだように今の暦で十一月の美ですから、ちょっと寒いのです。
学生時代はこの時期に京都で研究会もありましたので、よく紅葉狩に行きました。
嵐山ばかりか、あちこちに名所があります。
今は研究室の窓から

    箕面の山

を眺めます。赤いだけでなく色とりどりに見えます。「紅葉の錦」とはよくいったものです。北千里界隈は街路樹が目が醒めるほどに紅葉しますので、これもきれいです。
晩秋から初冬に差し掛かり、時雨がますます葉を染め、やがて散らしていきます。
昔の人は時雨が葉を染めると考えたのです。

  龍田川もみぢ葉流る
   かむなびのみむろの山に時雨降るらし
    (古今和歌集・秋下・詠み人知らず)

古今和歌集に見える紅葉の歌というと、

  千早振る神代も聞かず
    竜田川
   からくれなゐに水くくるとは
    (古今和歌集・秋下・業平朝臣)

も有名です。古今和歌集には「秋下」と「冬」の部に紅葉の歌があります。
人生はしばしば季節に例えられますが、私は初冬に入ったかな、と思います。紅葉のように色づきたいものです。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/2930-b230791e