錦秋公演第二部を振り返る 

「藤川新関」
この段は本来「沼津」でしめつけられるような親子の別れを見たあと、気分転換にもなるような意味合いがあったように思います。しかし、今の上演の都合で、第二部の冒頭。最初から気分転換しろといわれてもなぁ、と思いつつも、しかたないかな、とも思います。しかし、『伊賀越』を通し上演する場合、第一部は「政右衛門屋敷」を最高潮の場として位置づけ、いっそ「大広間」で終わってしまい、第二部を「沼津」「藤川から竹薮」「岡崎」で終わってしまうという方法もありうるのではないかと思います。第二部に「沼津」「岡崎」の大物を集めるのは抵抗があるかもしれませんが。「岡崎』で終わるということは仇討ちの場面もないわけで、『忠臣蔵』でいうなら、「山科」で終わってしまう感じですね。反論は多いと承知しています。
茶店の暖簾は露芝。旅の骨休めという情緒もあります。文雀師匠はさすがと思わせるところはありますが、やはりあまりにも動けず、お袖は無理だったのではないかと思います。助平の茶を淹れに店に入り直すこともしませんし、やはり動きに省略が多すぎて、芝居の幅が失われるのが残念です。お袖はおきゃんな娘。もっと足が動く、足の演技、移動の演技があるのだろうと思います。師匠にそれを求めるのは意味がないと思いますので、やはり役の問題になってくると思います。やはり文雀師匠の登場は多くのファンに期待されていますから、肚と視線の演技の生きる役が当たればと思いました。
玉也さんの助平は、もっと天真爛漫な、場面から浮いた大きさがあってもよいのでは、と思いました。紋壽さんの代役はもっと若い人、に勉強してもらったらどうなのでしょうか。
引抜の「万歳」の勘市、一輔のお二人は勢いがあって現代風。むしろコントのような味わいでテンポよく遣っていらっしゃったようにお見受けしました。
疑問が残ったままなのは、段切なのです。お袖は切手を落としたと錯覚した助平が一つ前の茶店に走っていったのを見送り、店の道具を片付けて一方志津馬の色男ぶりにうっとりしています。そして志津馬はもはや猶予はならぬとばかり、一心に「娘が手を引いて」岡崎さして「帰りける」、となります。これは娘が志津馬の手を引いて岡崎の家に帰ったといっていると解釈できそうで、人形は実際お袖が志津馬の手を引いて行きました。ただ、私は二人の気持ちを考えると、あせる志津馬が娘の手を引いて行ったのではないかと思えて気になっているのです。「帰りける」とあるので「娘が(手を引いて)帰ったのだ」という理屈はわかりますが、志津馬が娘の手を引いて岡崎さして急ぎ足になり、その結果娘の実家に「帰りける」なのではないかと、これはどなたかに教えていただくしかないなと思っています。

「竹薮」
実はあまりよくわかりませんでした。闇の中を歩む政右衛門、慣れぬ道でうっかり鳴子に触れてしまう、すわ一大事、という緊迫感が伝わってこなかったのです。政右衛門も役人(ツメ人形)も移動が直線的で歩みも粛々としすぎ、照明はかなり明るく、「手探りをする」「せっぱつまっている」という様子がうかがえませんでした。この闇や鳴子は前途の多難を象徴するので、何とか工夫ができないものかと思いました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

「岡崎」
満腹になる浄瑠璃。
清十郎さんの志津馬は二枚目です。きれいな男。咄嗟に股五郎と名乗ったりする目端の利いた男なのですが、そうなると二枚目半になってしまうかも知れず、清十郎さんはそこを性根のまま二枚目で通されていたと思います。何も考えていないのかと思ったら突然何かやらかす不思議な人物でもあり、源太首らしくてけっこうでした。清十郎さんは源太でも勘平などより維盛(弥助)がニンでしょうね。
勘十郎さんの幸兵衛はやはり先代の役でもありましたから、感慨ひとしおです。玉男・勘十郎時代を覚えていらっしゃる方々は政右衛門・幸兵衛とか熊谷・弥陀六とか、十兵衛・平作とか、そういう組み合わせの面白さを記憶にとどめていらっしゃると思うのです。どちらも譲らぬ芸ですね。当代もまた玉女という方を相手に名演を繰り広げられるわけですが、まだもう一息、丁々発止というところまで達していない気がするのです。でも、幸兵衛と政右衛門が互いを確かめ合う場面など、イキとマがよく、イキが合うから動きにスキがない。あそこは先代の組み合わせを思い出させるものでした。それにしても勘十郎さんの幸兵衛はおもしろい。結局、人形の人形らしい面白さを突き詰めていらっしゃるから面白いのだろうなと思います。感情表現も人間の演技ではなく、あくまで人形で表現するという前提がしっかりしているゆえに可能になっているという意味です。人形の視線の厳しさをあれほどはっきり感じさせる人形遣いさんが他にいるだろうか、と思います。
雪と母子はせつない風景の記号のようなもの。「勘助住家」しかり「袖萩祭文」しかり。
眼八は名の通り眼が八つあるかのようによく利きます。ところがそのギョロ眼も幸兵衛の眼力にはまるで歯が立たないわけで、あっという間に血祭りに揚げられてしまいます。

「北国屋」
ここでは孫六を遣われた玉勢さんの進歩に瞠目しました。突っ立った感じがなくて腰が据わっている。でしゃばらずにきっちりと脇の仕事をしているところです。

「仇討」
本願成就、おめでとうございます、という感じでした。

思いつきを書き並べただけのことですが、とにかく私は
『伊賀越道中双六』を見納めたぞと満足しました。
文楽技芸員の皆さん、裏方さんなど、お疲れさまでございました。来年もご健闘くださいませ。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/2977-59569f82