白む月 

一年のうち、もっともきれいな月は、というと、誰もがあの

    仲秋の名月

を思い出すでしょう。旧暦の八月十五夜は『竹取物語』でかぐや姫が昇天した夜、『源氏物語』で夕顔が頓死したのは翌十六日の夜。葵の上が亡くなったのも同じ。紫の上もまたその頃に亡くなります。月は陰。この天体を観ていると、こちらの世界からあちらの世界へ連れて行かれるような錯覚を覚えるのです。自分は今この世で何をしているのだろうか、そのことを考えさせてくれる、心に何かを催してくれるのが月だろうと思います。月は明るくて暗い、摩訶不思議な存在です。
たとえロケットが飛んで私も月に行けるとしても、私はあの月に降り立つことなど絶対にお断りです。やはり眺むるこそよけれ、と思うからです。
十三夜もすてきです。九月ですから晩秋、ひときわ物思いの勝る季節です。はじめて十三夜を褒めた人のセンスがうらやましいです。
しかし、私は

    十一月十七日

の月もまた好きです。もちろん旧暦の。
それが今年はこの十二月十九日でした。仲冬の名月でしょうかね。
以前はそんなこと、思いも寄らなかったのですが、ここ数年、しみじみとそんな事を思います。残る人生、この十一月十七日の月も味わいたいな、と思います。

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いえ、いわゆる宵に現れる

    立待月

ではありません。そうではなくて、西に傾く明け方の月を観たいのです。
この時期、私は6時過ぎに家を出ますので、家の中も外もまだ真っ暗です。冷え冷えとしてなかなか背筋が伸びません。
なんとなくうつむきがちに歩くと、目の前に明るい月が残っています。そして時々刻々、夜が明けゆくとともに月の色が見る見る白んでいきます。
仕事場に着いたころには空もかなり明るくなり、うっかりすると空を見上げても月の存在を忘れるくらいです。

この月に心惹かれるのはやはり年齢的なものでしょうか。けっしてこれから上り坂になることはないけれど、沈んでしまうまではもう少し時間がある。「山の端逃げて入れずもあらなむ(山の端よ、逃げてこの月を入れないでおくれ)」と在原業平が詠んだのは十一日の月でしたが、私もまたこの十七日の明け方の月に同じことを思います。
月は孤独を嘆くこともなく、嘆けとて人に物を思わせるわけでもなく、日々姿を変えながら淡々と空をめぐります。
ひとりでしっかりと生きねばならないぞ、と励ましてくれるわけでもありませんが、この日の曙の月を観ていると

    もう一歩だけ

前に歩みを進めようという気持ちになります。

実は今年の旧暦十一月十七日は天気がいまひとつだったので月は見えなかったのです。
来年は観ることができるだろうか、観たいものです。

なんだか安っぽい文学青年のようなことを書いてしまいました。

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