かぐや姫の昇天 

2012年の秋から1年半をかけて竹取物語を講座で読んできました。回数としては18回ですから、普通の講義で言うとワンセメスター プラス アルファくらいです。
受講者の皆さんは最後まで熱心にお付き合いくださいました。この方々がいらっしゃるから私も真剣に予習をしますし、精一杯お話もします。一人ではなかなかここまではできない、というくらい一生懸命丁寧に読んできました。
面白いお話です。
結婚相手を求めている男が水浴している天女の姿を見つけてその羽衣を隠して天に帰れなくなった天女を妻とし、やがて羽衣を発見した天女が帰っていく(そのあと、天女の父から難題を出されて解決したりできなかったりする話が付きます)という、いわゆる

    羽衣伝説

が背景にあります。
そのほか、化生譚、致富長者譚、求婚難題譚、地名由来譚などの要素もあって、変化に富みます。
求婚難題譚では5人の求婚者が登場。最初の3人は苦労して(あまり苦労しないものもいますが)難題として求められたものの贋物をもってきますがことごとく見破られて失敗。あとの2人は自ら取りに行って遭難したり命を落としたり。この部分は確かに面白いのです。
親王が二人、大臣、大納言、中納言というトップクラスの貴族が三人で、普通なら求婚を断るなどできないくらいの

    良縁

ではあります。しかしかぐや姫にとってはなんでもない男たち。
その「高貴な」男たちの失敗が痛快です。今の世でも権力を持ちたがる人物、実際に持ってしまってめちゃくちゃなことをしたがる人物はいますが、彼らの正体もおなじように浅はかな弱い男たちであり、また行く末もこういうものでしょう。今も昔も変わりません。

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求婚者のとどめは天皇です。これはもうこの地上では無二の存在ですから、この求婚を断るというのはさらにありえないことでしょう。実際、竹取物語の別の伝承では帝とかぐや姫は3年間夫婦として暮らす、というものもあります。竹取物語でも、結婚はしませんが、心を通わす歌のやりとりはあるのです。その意味では、帝はかぐや姫にとって地上における唯一の男であったと思います。
竹取物語を読んで、ほんとうに感動するのは、かぐや姫の

    昇天

のシーンです。泣けてくるくらい感動します。
かぐや姫は月の世界(天上界)の人であり、八月十五夜に帰らねばなりません。それが悲しくてせめて今年いっぱいはこの地上にと願いますが、それも叶いません。満月が近づくにつれて泣き続けるかぐや姫に翁や嫗が問い質すと彼女は事情を話し、その上で親たち(翁と嫗)に別れるつらさを訴えます。
天に帰れるなら、本来はめでたいことなのでしょうが、かぐや姫は地上での親子の愛情を失いたくないのです。
さらに、翁が帝に訴えると、帝は2千人のつわものを派遣してかぐや姫を守ろうとします。それでも十五夜の夜に天人が降りてきます。そして「飛ぶ車」に乗せて帰ろうとし、天の羽衣を着せようとするのです。この羽衣を着せると地上でのできごとは瞬時に忘れてしまいます。そこでかぐや姫は天人を制し、帝に手紙を書きます。天人がいらいらするとかぐや姫はそれを「もの知らぬこと(情理をわきまえないこと)」として咎めます。手紙の最後には

    今はとて天の羽衣着る折ぞ
        君をあはれと思ひいでける

の一首を書き、不死の薬を添えて帝に贈ります。これはやはり男女の愛情を重んじる彼女の気持ちでしょう。

この世はあるいは穢土(えど。穢れたところ)なのかもしれません。天の世界からも軽んじられるようなところなのかもしれません。
しかし、親子の愛と男女の愛があるかぎり、その天上の世界よりもきっと尊いのだと思います。翁と嫗はかぐや姫を失うと同時に物語から姿を消し、帝もまた不死の薬を拒んで地上の愛に殉ずるのです。そして帝はその薬を駿河国にある山の頂上で燃やすように命じ、多くの(富)つわもの(士)がそれを持って山に登ります。そこでその山を

    富士山

と呼ぶようになった、その煙は今も天に向かって立ち上っているというのが物語の最後です。当時の和歌では、「火」に「思ひ」を掛けて詠むことがありました。その意味では、あの富士の山の「火」から立ち昇る煙は地上の人の「思ひ」に他ならないのだろうと思います。秦の始皇帝に限らず、我々人間は、永遠の命を求めることがあります。しかし、それよりも大事なものはやはり「思ひ」、今で言うなら「愛」なのだろうと思います。
こんな「愛の物語」を1100年以上前に書いた人がいたのです。

若き日に古典を読むのは大切です。でも、ある程度歳をとってから読み直すのはさらにいいものだと思います。
こじつけではありますが、『竹取』を読んでいて、ふと『曽根崎心中』を思いました。運命の前に敗者とならざるを得ない人も、愛の勝利を得ることはできる。『竹取』も『曽根崎』もその意味ではハッピーエンドなのかもしれない、と。

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