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鬼は外 

節分です。
冬もそろそろ峠を越すというところです。もちろんまだまだ寒い日は続きますので油断はなりませんが、やはり春はあまり遠くはないと感じさせてくれる日です。
もとは追儺(ついな)という行事であることはご存じのとおりです。
私の住む宝塚市では

    中山寺(安産祈願で知られる)

で追儺式や豆まき式がおこなわれます。関西ではお寺や神様をなれなれしく「さんづけ」で呼びますので、ここは「なかやまさん」です。
追儺式は宝塚歌劇団の生徒さんが観音様に扮して、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)の鬼が福、禄、寿の神に変わる様子を見せます。
豆まき式は、やはり宝塚歌劇の生徒さんが福娘となって(男性の福男もいます、念のため)おこなわれます。
しかし、家庭ではどうなんでしょうか。今は豆まきよりも

    恵方巻

が人気なのかもしれません。
今年の恵方は東北東なのだとか。

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歌舞伎役者は俳諧をたしなむ人が多く、俳名を持つ人も多くあります。
初代坂田藤十郎は冬貞、車漣を名乗り、初代市川団十郎は才牛を俳名としました。
役者を呼ぶときには屋号のみならず、俳名で呼ぶのがしゃれている、という風潮まで起こり、また俳名が芸名になることもあったのもよく知られています。
芝翫、松緑、我當、梅玉、魁春、梅幸、芦燕なども、もともとは俳名でした。
二代目の市川団十郎(1688~1758)も初代と同じ才牛のほか、三升、栢莚などの俳名を持って、よく句会などを催したそうです。
二代目団十郎が師としたのは

    宝井其角(1661~1707)

でした。
団十郎は其角の「わがものと思へば軽しかさの雪」の軸を息子の病気のお守りにしたそうです。息子の病気は疱瘡で、「軽しかさ(傘⇒瘡)」、つまり疱瘡が軽くて済むという縁起を担いだわけです。
ある年の節分に団十郎が其角を訪ねると、其角は

    今ここに団十郎や鬼は外

と詠んでくれたのだそうです。そりゃあ、団十郎がいてくれたら鬼もどこかへ行ってしまいますね。
その時に添えられた絵は「暫」だったそうです。

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そして二月三日は

12代目団十郎の命日でした

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