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磐之媛命 

※住大夫師匠の引退については、明日以降書きます。

万葉集あるいは万葉時代の勉強をしています。
山上憶良とか山部赤人とか柿本人麻呂とか大伴家持とか、男性の歌人もなかなかいいのですが、女性歌人にも気になる人は多いのです。額田王、大伯皇女、石川郎女、大伴坂上郎女、笠女郎、狭野茅(弟)上娘子、などなど。
万葉集に入る女性の天皇には持統天皇がいます。

  春過ぎて夏来るらし
    しろたへの衣干したり
      天の香具山

は読み方は少し違いますが、百人一首にも入る持統天皇の歌。
近い時代の人に斉明天皇がいます。斉明天皇は夭折した建王(たけるのみこ)を哀しんで詠んだ歌が『日本書紀』に残っています。建王は中大兄皇子(天智天皇)の子で、斉明天皇の孫。わずか八歳で亡くなったのです。言葉を話せなかったといわれ、祖母の斉明天皇はこの皇子をふびんに思ってかわいがったそうです。そしていずれ自分が死んだらこの子と合葬するように命じたとのことです。

  今城(いまき)なる小山(をむれ)が上に
    雲だにもしるくし立たば
      何か嘆かむ

今城の小山の上にせめて雲だけでもはっきりと立ってくれたら、私は何を嘆くことがあろうか、ということでしょう。

仁徳天皇の皇后であった磐之媛命(いはのひめのみこと)は激しい恋歌を残しています。

  君が行きけ長くなりぬ
    山尋ね迎へか行かむ
      待ちにか待たむ
  (あなたが旅立って長い日が経ちました。山を尋ねて
   迎えに行こうか、それともじっと待っていようか)

  かくばかり恋ひつつあらずは
    高山の磐ねしまきて
      死なましものを
  (これほど恋しい思いをするなら
   高い山の岩を枕にして死んでしまいたい)

これらは仁徳天皇を慕った歌とされます。ところが、これらの歌は本当に彼女が詠んだものかどうか、判然としないようです。

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実は、磐之媛命は嫉妬深い女性として知られる人です。
『古事記』に「甚だ多く嫉妬したまひき」(たいそうひどくやきもちを焼く人であった)と書かれています。
あるとき、吉備国(岡山県)にたいそうすばらしい黒比売(姫)という女性がいると聞いた仁徳天皇が早速この女性を呼びました(この天皇も相当な女性好きです)。しかし宮廷にはあの嫉妬深い磐之媛がいます。結局黒比売は逃げ出すべく難波の浦から船出しようとします。すると仁徳天皇は

  沖方(おきへ)には 小船連(つら)らく
   黒鞘のまさづ子我妹(わぎも)
     国へ下らす

沖の方に小舟を連ねてあの美しい妻は国に下っていかれる・・・こんな歌を詠んだものですから、さらに磐之媛の嫉妬の炎は燃え上がり、「その女、船で帰ることはならぬ。誰か行って船から降ろして陸路を帰らせなさい」と命じたといいます。
仁徳天皇はこのあと磐之媛を騙して黒比売を追って吉備まで行ったといわれます。

  山県(やまがた)に 蒔ける青菜も
    吉備人と 共にし摘めば
      楽しくもあるか

山の畑に撒いた青菜も吉備の国に住むあなたと一緒に摘んだら楽しいことだね。
黒比売の墓というものが津山の旧勝北町にあります(水原古墳)。
また、磐之媛が紀伊国にでかけたとき、仁徳天皇は八田若郎女(やたのわきいらつめ)を呼び入れていました(懲りない男です)。磐之媛は難波まで戻ってきてこの噂を聞き、またもや嫉妬炸裂。結局天皇は八田若郎女を実家に帰すことになります。

  八田の 一本菅(ひともとすげ)は
   子持たず 立ちか荒れなむ
    あたら菅原 言(こと)をこそ
     菅原と言はめ あたら清(すが)し女(め)

八田の一本の菅は、子も持たず、立ち枯れてしまうのか。ああ、もったいない菅原だ。言葉では菅原と言っておこう。だって「すが」き女性なのだから。ああもったいない美しい人よ。

夫も夫、妻も妻、でしょうかね。

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