七世住大夫の引退(その2) 

住大夫師匠は私の父と同世代。
父が亡くなって半年ほどした平成4年4月公演が

    伊賀越道中双六

の通しでした。この時の「沼津」は住大夫・燕三、簑助(十兵衛)、文雀(お米)、作十郎(平作)でした。
この時はさすがに泣けて泣けて仕方がありませんでした。自分の人生と文楽の芝居が重なって、父親というものを少し理解したような気がしたものです。
文楽っていいもんだ、としみじみ思った公演でした。私が本当に文楽で泣いたというとそれまでは越路師匠の「引窓」と津大夫師匠の「沼津」くらいでしたから、住師については初めての経験でした。

その当時私は広島にいたのですが、その翌年に関西に戻りました。そしてまもなく昨日書きました新作浄瑠璃の審査という形で関わりを持っていただくことになりました。
さらにその後しばらくして私は

    『上方芸能』

から文楽評の仕事を依頼されたのです。何度も申しますが、私には無理な仕事。とても荷が重く、特に第一人者の住師匠のことをどうやって「批評」せよというのか。結局感動したことばかりを書いてきたように思います。新作浄瑠璃は好きで書いたものですから全く問題ないのですが、この批評だけはしてはいけないことだったのだろうと今でも思います。浄瑠璃の神様にもう聴かなくていい、とお仕置き(笑)をされてしまいましたし。

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住師匠のお得意の演目は何だったのか、なんだかいっぱいありすぎて思い出すのが難しいくらいです。
ただ、私が一番というのは簡単にいうことができます。それはこの5月の引退演目でも語られるという

    沓掛村

です。この演目は舞台がいわゆる「逆勝手」なので、人物は上手側、つまり太夫さんの方から出てきます。最初に八蔵が出てきて「与之助さん、門にぢやないか」というのですが、それがほんとうに住師が人形に乗り移ったように聞こえて、しかもその語り方が実にすばらしく場の雰囲気を余すところなく伝えてくれ、これから始まる芝居がどういうものかをさっと掴ませてくれたことに驚きすら感じたものでした。
5月、私はたぶん東京には行けません。とても忙しい月ですし、先立つものもありません。第一、チケットが取れるかどうか、かなり危ないところでしょう。
特に住師の出番の方はあっという間に売れてしまうのではないでしょうか。
もちろん住師の名演には「沼津」があります。これは個人的な思い出を抜きにしてもすばらしい。あの「なまいだ」を言える人は今ほかにどなたなのでしょうか。私の知る最初は越路師、ついで津大夫師、そのあとは英さんや千歳さんはあったものの、ほとんど

    住師の独擅場

だったというべきでしょう。
ほかにも「妹山背山の大判事」のようなゴツゴツしたもの、「喜内住家」のような悲惨さを持つもの、「笑ひ薬」「帯屋」のようなチャリ場、「壺坂」「堀川」のようなしみじみとした温かみなど、さまざまな義太夫の楽しみを聴かせていただきました。

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