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疲れたら休め 

新年度に向けてものを考える時期になりました。以前ならいかによき教育、研究をするか、ということが第一でしたが、今はいかに稼ぐかが一番です(笑)。
すでに今年度の仕事は完全に終わりました。卒業式とか何とか、そういうのは関係ありませんのですでにお役御免です。
今は普段できないことをコツコツと続けているのと、新年度の計画をあれこれ考えています。
体調を元気なまま維持できるとは思っていませんので、それとの兼ね合いが難しいのです。しかし、何か事務的な仕事でもバイトがないかと思っています。現実的には電話番や応対ができないので困難だろうと思うのですが。
どんどん袋小路に入っていくばかりで、さすがに夢も希望もありませんが、本当に小さな針の穴の向こうに見える光明を目当てに、何か自分のやりたいことを残る時間を使って実現したいと思います。

  疲れたら休め、
   彼らもそう遠くへは行くまい

とはツルゲーネフの言葉だそうですが、年中疲れている場合はどうすればいいのでしょうか(笑)。「彼ら」はかなり遠くへ行ってしまったような気もしますし。これはやはり普段本当にしっかり頑張っている人たちに向けられた言葉であって、綿足のように怠けてばかりいる人間には猫に小判の金言だろうと思います。
この言葉は歌人の

    河野裕子 さん

がお好きでした。彼女は高校生の時、一年休学をしているのです。とても暗い時間であったと回顧されていました。その時にいつもこの言葉に励まされたそうです(河野裕子『私はここよ』)。

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河野さんについては以前にも書いたことがあります(⇒こちら)。
以下、多少その繰り返しになります。
この人は学生時代から好きな歌人でした。

  たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
  わが頬を打ちたるのちにわらわらと泣きたきごとき表情をせり
  ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり

  子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
  たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる

これらの歌は私にとって長らくの愛唱歌といってもよいくらいです。現代歌人の中ではあるいは最も好きな歌人といえるかもしれません。
昭和21年生まれでいらっしゃるので、私よりかなり年長。身近な感じよりもむしろ憧れを抱くような距離がある方でした。
河野さんは乳がんに侵され、手術、転移を経て、ついに2010年8月にまだ64歳の若さで亡くなりました。
乳がんの告知を受けた日、帰ろうとしたら、夫君の永田宏さんとばったり会って(歌人としても著名な永田さんは京都大学の細胞生物学の教授。奥様の病気をすでに理解されていたのです)、その時に永田さんがなんとも言えない顔をなさったらしく、詠まれた歌が

何といふ顔してわれを見るものか
      私はここよ吊り橋ぢやない

でした。「つり橋ぢやない」という表現はこれはもう詩人ならではのもの、私などとてもこんな言葉は出てきません。
晩年はかなり弱られたようですが、短歌の手帳は離されなかったようですし、夫君やお子様方(歌人の永田淳さん、永田紅さん)も協力して多くの歌を書き留められました。

  書きとめておかねば歌は消ゆるもの
    されどああ暗やみで書きし文字はよめざり
  八月に私は死ぬのか
    朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る
  子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち
    終る日にたちかへりこむ
手をのべてあなたとあなたに触れたきに
    息が足りないこの世の息が

これらの歌にはもう贅言は要らないと思います。
残された時間をどのように使うか。
憧れの河野さんは今も私のパイロットのように思えます。
さて、新年度に向けてまた勉強すべきことをしていきます。

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