fc2ブログ

初春公演つれづれ(2) 

前回は「布引」まで書きました。第一部最後の演目は冬の公演の定番のようなこの作品でした。
梅川と忠兵衛は6年前と同じ簑助師匠と清十郎さんの組み合わせでした。もっともあのときは「清之助さん」でしたが。清之助としての大阪で最後の公演がこの演目でした。正直言ってあの時は余裕がないというか、簑助師匠に引っ張られすぎではないかと感じることがありました。しかし今回は

    足が地に着いた

というか腰が座ったというか、きちんと独立した人格として動いている忠兵衛が見えました。いわば存在感が強まったのです。梅川と孫右衛門を中心とする芝居ではあってももう一つの父と息子の絆が確かに見えたように思います。
和生さんの孫右衛門は時として大店のご隠居のようですらある風格が感じられました。飛び出してきた梅川に、なぜか忠三郎の家にいざなわれます。普通なら不思議に思うところですが、孫右衛門は何も知らないかのように招き入れられます。このあたりは芝居のウソでしょうか。梅川の様子を見ているうちに徐々に事情が呑み込める、といった様子の孫右衛門。その「徐々に」という変化を和生さんはうまく表現していたように思います。上がり口での梅からの孫右衛門をいたわる様子は本当に細かい。簑助師匠は実に細かく演じます。
私はいつも申すのですが(賛同者はまずありませんが・・笑)、「覚悟きはめて名乗つて出い」で飛び出す忠兵衛を孫右衛門が抑える時は「息子を見てはいけない」という気持ちがあるのではないかと思うのです。だから顔は背けるのではないか、と。孫右衛門は梅川に目隠しをはずされるとその梅川を一瞥してから忠兵衛を見ます。あの一瞥がまた孫右衛門の人柄を感じさせます。
二人を見送った孫右衛門は少し上手に歩いて、振り返って下手側に戻ります。下手に行くということは家に戻るということ。今さら道場参りもないのですね。
とにかくこの演目では清十郎さんの進境というか充実というか前回よりぐんとよくなったところはさすがにプロだと思いました。

「やくたいもない」あたりで

    停電した

日がありました(こちらにも書きました)。1月14日14時20分過ぎでした。私もあの時は行っていましたが,客席も舞台もまさにフェードアウトした感じ。嶋大夫師匠はそれでも語り続け、舞台上は見えないのに人形が動いているのは分かりました。やがて床にはお弟子さんがライトを持って出て、師匠の床本を照らします。富助さんは暗いところで弾き続けました。
音声室のライトがつき、客席はその灯りで様子が分かるようになりました。やがて裏方さんが必死にかき集めた(と裏方さんからうかがいました)ライトで船底から屋体が照らし出され、簑助,和生,清十郎さんが何事もなかったかのように演技を続けてます。技芸員さんは全く何事もなかったかのように演技を続けます。
なお、あのライトはマグライト(MAGLITE)だそうで、アメリカのマグ・インストルメント社の製品だそうです。とても性能のよいライトだとか。これも裏方さんに教わりました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

夜の部です。
「面売り」はたくさんの面を次々に見せるのが面白み。あの中にあなたの顔はありませんか。きっとあると思います。つまり、

    お客さんすべての顔

が舞台上に登場しているのだと思います。それを見せて囃しているわけで、これはつまりお客さんを祝福しているようなものだと感じます。初春にはなかなかいいものです。人形は面売り娘を勘弥さん。実はニンではないかなと思っていたのです。以前簑二郎さんがなさっていましたが、あの方は動きが細かいのでこういう役はよく会うと思いましたし、実際よかったのです。勘弥さんはいささかおっとりした感じもしますので、どうだろうかと思いました。しかしさすがに手練の技。これくらいのベテランになるとたいしたものだと思います。一輔さんもまったく後れを取りません。見事でした。

「四条河原」は悪役の横淵官左衛門と伝兵衛という対照的な人物が登場。幸助さんは令によって大きな手の動きで悪人の性根を見せていました。ただ、官左衛門という男は悪人ではあっても土地のならず者、ごろつきとは違って亀山家勘定役の武士。雨風のために傘をさして尻からげをして高足駄を履いていますが、ちょっと町人に崩れたように思うのです。人形のこしらえもいささかだらけた感じにしてありましたが、いかがなものでしょうか。
廻しの久八を遣った玉佳さんはこういう実直な人物もいいですね。

「堀川猿回し」では勘寿さん(与次郎母)がよかったです。三味線の稽古の場面はいかにもおばあさんらしく、その演奏は寛治師匠のたたずまいとも合致するようでした。いや寛治師匠がお婆さんだと言っているわけではありませんが。また、その跡の場面では、か弱いだけでなく意思はよくうかがえました。
玉女さんの与次郎はさっぱりしていました。実直さはじゅうぶんうかがえたのですが、世次郎のもうひとつの性根である「臆病」についてはどうだったでしょうか。たとえば間違って伝兵衛を中に入れたあと、戸を締めて抑えるところでは頭を抱えるようにしたり、足を震わせたりしないだろうか、ほうきに手紙を載せて伝兵衛に渡す場面ではもっと腰が引けていたり目を背けがちにきょときょとしていたりしないだろうか、など。

「阿古屋」は三段目の口である「堀川門注所」ですが、三曲による詮議がすべてのような場面。「理川猿回し」が赤貧の家であったのに対して、同じ「堀川」ながら派手な仕様です。制作の人は堀川並びを考えたのでしょうか。
阿古屋の出には傾城の矜持がありました。そして、どんなしぐさをしても色や艶があります。あるというよりはこぼれ出るような感じ。たとえば琴爪をはめるしぐさひとつをとっても。重忠に馴れ初めを問われてそれを語った後の恥じらいの様子はつい顔を隠してしまったというようで、人間味があふれます。三味線の演奏中の「さるにても我が夫の」で思い余って弾けなくなる場面も情の厚さを感じさせます。勘十郎さんが厚みのある阿古屋を遣われ、一輔さんの左が流れるような動きで応えていました。

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3072-7ff22129