科学の道 

1月に「万能細胞」という、私にはまったく理解を超えるというか、異次元の研究にすら思える科学の成果が発表されました。
画期的なこととしてメディアが取り上げ、世界的な科学雑誌もその論文を掲載したということです。ところが、その後、論文に不備があるというので一転して大きな批判にさらされました。
特に筆頭著者の若い女性はかつての博士論文の問題まで浮上して、厳しい意見がネット上などで盛んに出ています。あの、ゴースト作曲家の話とリンクさせて意見をいう人も少なくありません。要するに

    にせもの

という扱いです。化学の世界について私は何も知りませんので、厳密なことはいえませんが、彼女が失態を犯したことは恐らく間違いないのだろうと思っています。延々と他者の記述をそれと明示せずに、あたかも自分が書いた文章のように博士論文として書いてしまったのは剽窃と言われても仕方がないだろうと思います。指導教員は、こういうときには中味の問題ではなく、論文の体裁として厳しく叱責する必要があると思います。絶対に書き直しですね。また、最新の論文についても画像に問題があるなどの欠点が指摘されているようで、これも論文としては適切ではないでしょう。

以下、彼女がまったく悪意なく自分なりに確信を持ってこの発表をしたという前提で申します。
もし発表されたことが事実なら画期的な研究成果であることはこれまた間違いないようで、その場合は医療分野などに

    大きな寄与

をすることが容易に想像されます。
彼女が学生のころから温めてきた成果が実を結ぶなら極めて重要な研究ということになるでしょう。
私は、病を持つ者として、(私自身は直接恩恵を受けることはないでしょうが)この成果が事実であることを強く願っています。
こういう研究が表に出ると、成果そのものよりも研究した人がクローズアップされることが多く、実は本末転倒だともいえます。肝腎なのは結果で、科学者はそれの発見に寄与した奉仕者であるとも思うのです。
話が飛びますが、大阪府、大阪市の文楽に対する態度が話題になったとき、時の府知事や市長の言うことを信じた人たちは「伝統芸能はあぐらをかいている」「文楽の人間は補助金でのうのうと暮らしている」などとまったく事実無根のことを言っていました。彼らには(当然大阪府知事や大阪市長にも)勘違いがあります。文楽の技芸員は「守ってもらっている」のではないのです。彼らもまた文楽を

    守っている

のです。皆で守ろう、ということで国も大阪府も大阪市も財界も一緒になって文楽という芸能を守ろうとしているのです。技芸員は技芸を維持して披露することで守ろうとしているのです。そこを全く理解しないで「人間国宝の収入を明らかにすることを補助金の条件にしよう」などと時の大阪市長は頓珍漢なことを言っていました。
文楽という芸能が大事なのであって、技芸員は、こういう言い方は失礼ですが、いずれいなくなるわけで、次々に養成していく必要があるわけです。人ではなく芸能を守ることが補助金を出す大阪府市の責務であったはずです。今もって補助金が技芸員の給料になっていると思っている人がいますが、こういう誤解を与えたことは大阪府市の大きな罪であったと思います。

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あの万能細胞の女性研究者もマスメディアが不必要にちやほやしてしまったため、こういうことになってしまいました。
彼女の博士論文は今から取り消される可能性はあるでしょうし、それは仕方がないでしょう。しっかり書き直してまた提出されればよいとも思います。万能細胞の研究も結果が出たことにはならないでしょう。ただ、せっかくの彼女の発想が正しいのか間違っているのかはきちんと検証して、結論を出して欲しいと思います。正しければバンザイですし、仮に間違っていたとしても、

    これではうまく行かない

ということが分かっただけでもプラスだと思います。
無用な攻撃はもうやめて欲しいと思います。それは彼女が女性だからとか若いからとか、そういうことではなく、科学の道の困難を行く孤独を私なりに感じることがあるからです。
実は私は今あることでこれまでの人が考えていなかったようなことを頭に描いて勉強しています。私の考えが正しければ新発見ですし、正しくなければ「残念でした」で終わることです。間違っていた場合でも私は勉強した時間を無駄にしたとは思いません。そんな事の繰り返しが科学(私の場合は人文科学)の道として当たり前のことだと思うからです。
ノーベル賞を受けるなんていうのは天才だからではなく(その要素が皆無だとはいいませんが)、実はかなり偶然の要素があると思います。いえ、けなしているのではありません。そういうものだ、ということです。
失敗を重ねていくうちに何かふと思い浮かぶことがある。それを突き詰めていくうちに

    大きな発見

になることもあればやはりまた失敗を重ねただけに終わることもあると思います。
毎年、医学博士なんて大量に出現するのです。でも、だからと言ってすべてが画期的な論文というわけにはいかないのです。理系では学位をとるのが出発点という発想が長く続いてきましたから。文系は伝統的にあまりそういう考えがなく、最近になっていくらか若いうちに学位を取るべきだ、また授与すべきだという考えになってきたようには思いますが。

話があちこちに行きましたが、私はあの小保方さんという研究者に元気を出してまた勉強を続けて欲しいと思っているのです。

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