新やじきた道中記(その1) 

「サザエさん」でおなじみの長谷川町子さんが昭和26年11月4日号~昭和27年12月28日号の「週刊朝日」に連載されたものに

    新やじきた道中記

があります。もちろん登場人物は「やじさん」と「きたさん」。舞坂と赤坂の間あたりでは、なんとサザエさん一家も出てきます(京を目指すサザエさんと道連れになります)。
2人は伊勢参りではなく、大坂に遊びに行くということになっています。
これを読んでいると、長谷川さんがいろいろ江戸時代のことを調べながら描いていらっしゃることに気がつきます。
以前「都鳥」という玩具のことをこのブログに書きました(⇒こちら)が、そこでこの「新やじきた道中記」にも都鳥が出てくることをメモしておきました。やじきた道中、平塚の宿(相模国)でのことでした。
ほかのエピソードをいくらかご紹介します。
武蔵国の端、程ヶ谷(保土ヶ谷)宿ですから、平塚の少し前です。やじさんがだんごやの娘に呼び止められて喜んで店に入り、そこで必要もないのに馬のわらじを買います。これが

    11文

だとあります。200円前後でしょうか。
戸塚宿(相模国)では宿に着いてまずひとっぷろ。きたさんが「デ、デン、デン。デン そりゃきこえませぬウ」と語るとやじさんが「でんべえさん♪」。そのあと道中できたさんが「おれも昔は旅芝居で女形をつとめたこともあるんだ」と言い、十八番は「じゅんれいおツルのお弓」と言っています。その時知り合った芝居好きの男と「五代目菊五郎のベンテン小僧みましたかイ」「暫は何といっても団十郎だな」と話しながら旅をします。ちなみに、五代目菊五郎は天保15年(1844)生まれで菊五郎襲名は慶應4年 (1868) 、主に活躍したのは明治です。この連載の頃は六代目が亡くなって2年後ですから、その六代目よりひとつ前、というくらいの意識で書かれたのでしょうか。

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平塚と小田原の間と言いますからほぼ大磯あたりでしょうか、夜遅くになっても2人は歩いています。そして分かれ道でやじさんは右側、きたさんは左側の道を選んで別々に行くのです。きたさんは暗いので途中の家で提灯を分けてもらおうとします。ところがここは飲み屋。分けてもらった提灯には「やきとり 一寸一ぱい」と書いてあります。それを遠目に見つけたのがやじさん。冬のこととて身体は冷えるし不安でよけいに寒いところですから、飲み屋の看板提灯を見つけるともうたまりません。湯豆腐で一杯、と追いかけていきます。ところが走っても走ってもその明かりが近づかないのです(提灯を持っているきたさんも歩いていますから)。そこでやじさんは「キツネだー」とおびえて逃げ、その声を聞いたきたさんもまた腰を抜かしてしまいます。
この追いかけても追いかけても追いつけない提灯というのは

    本所七不思議

という伝承にあります。七不思議のうちのひとつで「送り提灯」というのですが、あるいは長谷川さんはこれを念頭に置いて描かれたのかもしれないと思うのです。
駿河国に入り、蒲原あたりの宿で2人は神田のエチゴ屋さんに会います。旧知の人なのです。エチゴ屋さんは「お伊勢まいりのかえりみちだから何なら長屋に手紙でもことづかろうかね」と言ってくれます。同行していた丁稚さんが「やじさん達も長屋の連中もまるきり無筆ですよ」というとエチゴ屋さんは「だからサ、どんな手紙をもってくるかおなぐさみだよ」と話しています。そこに二人が持ってきたのは胡椒の袋、豆、重ねた足袋、いちょうの葉。「『いちょう』の『こしょう』も無く『まめ』で『たび』をかさねています」という心だそうです。なるほど。

ごまのハイに遭った二人が旅籠で

    三助

のバイトをします。客が、湯が熱いというので2人が湯加減を見ると熱くないと思い、ためしに入ってみますやはり熱くありません。実は戸塚の宿でもふたりは湯に入って「江戸っ子はこの位のあつ湯でなくっちゃ」と言っていました。江戸っ子は熱湯(あつゆ)でカラスの行水」といいますが、それを描いているわけですね。ちなみに、客に言われて水で冷やしたつもりが、それは酒でした。そこでふたりは(客と一緒に)湯に入って熱燗になりました、というのが話のオチです。(明日に続く)

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