名所江戸百景~日本橋南側 

大阪の人間ではありませんので、「日本橋」というとやはり「おえどにほんばし」が子供のころに最初に覚えたものです。今はさすがに「にっぽんばし」と読むことのほうが多いですが。
鉄砲洲湊神社すぐの稲荷橋を北に渡り、いくらか西に行くと与力、同心の住む町御組屋敷が集まっていました。今の東京メトロ日比谷線の茅場町と八丁堀の間の一帯です。
そして楓川を西に越えたら日本橋南の町屋。
広重の『江戸名所百景』の第一景は冬景色で「日本橋雪晴」です。

名所江戸百景001
↑日本橋雪晴

広重自身も南伝馬町一丁目東の大鋸町に住んでいましたから、この地域に対する思い入れはひとしおだったのだろうと想像します。文久三年に再刻された江戸切絵図の「八丁堀霊岸嶋日本橋南之絵図」には日本橋について「此橋上ヨリ御城并富士山見エテ絶景ナリ」と注記されています。広重はさらにその日本橋をも眺める位置から、つまり橋の北東の少し高い視点から千代田城と富士山を遠望する絵を描いています。手前に魚河岸の活気。日本橋川は往来する数々の船、橋の上は棒手振りの庶民や大名行列らしい一群、蔵屋敷の向こう右側に城、さらにその奥左側にかなり大きな全山白一色の富士山。雪の白と川の群青が鮮やかな対比を見せます。
葛飾北斎も日本橋からの富士山を「富嶽三十六景」に描いています。
第四十三景は「日本橋江戸ばし」。

名所江戸百景043
↑日本橋江戸ばし

日本橋の北詰から東側を見た構図。町屋には珍しい

    立派な擬宝珠

を持つ日本橋の欄干が目の前に描かれ、魚屋の棒手振りの桶には鰹が。つまりこれは夏の風景です。江戸橋との間、日本橋川右岸には蔵屋敷。江戸橋の向こうにも白壁の蔵が並ぶ小網町の様子が描かれます。
四十五景は日本橋の西にある「八ツ見のはし」。正式には一石橋という橋です。

名所江戸百景045
↑八ツ見のはし

この橋からは八つの橋(一石橋を含む)が見えたのでこの名があるのだそうで、道三堀をはさんでここから西に見えるのは大名屋敷ばかり。奥には千代田城、そしてやはり富士山。ツバメが飛んでさわやかな夏の風景です。

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第四十四景はやはり夏で「日本橋通一丁目略図」。

名所江戸百景044
↑日本橋通一丁目略図

北を見た構図で白木屋(東急百貨店日本橋店。すでに閉店)と蕎麦屋の東蕎庵が右手(東側)に見えます。

    住吉踊り

のメンバーが画面中央。蕎麦の出前や真桑瓜を売る人も見えます。
第七十三景「市中繁栄七夕祭」は日本橋大鋸町から西を見た図。つまり広重の家から見ているわけです。

名所江戸百景073
↑市中繁栄七夕祭

あまたの竹が風になびいて、すいか、ほおずき、ひょうたん、盃、吹流し、大福帳、千両箱などの作り物が飾られています。富士山も描かれ、いかにも平和に栄える初秋の江戸の町です。
第一景から四十三景、四十四景、七十三景と、今の中央通りを南へ南へ。往時の日本橋南通、中橋広小路、南伝馬町と立ち位置を変えてきた広重はさらに南側の京橋も描いています。
第七十六景「京橋竹がし」です。

名所江戸百景076
↑京橋竹がし

外堀から海へ通ずる京橋川の三つ目の橋が京橋。やはり擬宝珠がついています。京橋から東を向いて左岸(北側)には

    竹河岸

がありました。竹問屋が並んでいたので、川には筏に組んだ竹が浮かべられ、陸にもあまたの竹が立てられています。白い満月が東に低く描かれた秋の風景で、まださすがに提灯は必要な時刻ですが、往来の人はそこそこいます。

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