名所江戸百景~湯島界隈 

湯島天神といえば新派の「婦系図」(泉鏡花原作)。「切れるの別れるのって、そんなことはね、芸者の時に言うことよ。今の私には死ねといって下さい」・・・かつては人口に膾炙したせりふですね。
しかし、泉鏡花という人物がそもそも忘れられがちですから、お蔦、主税も知られざるヒーロー、ヒロインになりつつあるといってよいでしょうか。
神田明神下といえば野村胡堂『銭形平次』。これも大川橋蔵さんのあとは北大路欣也さんがなさっているようですが、やはり若者にはあまりポピュラーではないでしょうね。
学生に寛永通宝の話をするにしても「銭形平次が投げるお金」と言うと余計に分からなくなりそうです。
今日はそのあたりの散策です。

『江戸名所百景』第百十七景「湯島天神坂上眺望」は冬の情景です。つまり梅はありません。

名所江戸百景117
↑湯しま天神坂上眺望

天神様と言うと学問の神様ですから厳粛一辺倒だろうと思ってしまいますが、さすがは庶民の町。境内には芝居や茶店などの娯楽施設があり、富くじがおこなわれたことでも知られます。社伝によると、湯島天神はもともとはアマノタヂカラヲノミコト(アマテラスを天の岩屋から引っ張り出した神)を祀っていたとのことで、今も道真とともにアマノタヂカラヲが祭神となっています。高台になっているので、当時は特に女坂側からの眺めがよく、そこを広重は描いています。右手隅が男坂です。北側を見ています。一面白に覆われていますが、今は雪もやんでいて人々は傘をすぼめています。
女坂を登りつめるとすぐ手前下には茅町の家々。不忍池の中島弁天堂、そして右奥には寛永寺が見えています。梅の頃はもちろんだが、雪の湯島もいいよ、という広重のつぶやきが聞こえてきそうです。

元は今の大手町将軍塚のあたりにあった神田神社は家康の亡くなった元和二年(1616)に現在地に移っています。
第10景「神田明神曙之景」は春、正月と思われる風景です。

名所江戸百景010
↑神田明神曙之景

この神社は東側に眺望が開けていたため、初日の出を観るのにとてもよかったようです。神主さんがいて巫女さんがいます。もう一人手桶を持っているのは神社の下男のような立場の人でしょうか。三人とも東の曙の空を眺めているようです。曙はもう日の昇る時刻ですから、元日なら初日の出ということになります。しかしそれにしては三人だけというのは不自然にも思えます。実際は参詣人もいたのをすべてカットしてこの三人だけを描いたのかもしれませんし、正月の賑わいのあとの風景なのかもしれません。ただ、右端の人物の持っている水桶から元旦の若水汲みのあとのひとこまではないかとも言われるようです。春は曙、です。「やうやう白くなりゆく」「少しあかりて」などの枕草子の一節まで思い浮かべてしまいました。境内の色合いもなんとも幻想的です。

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神田神社(神田明神)の南西側に湯島聖堂があります。この近くに私立学校共済組合のガーデンパレスがあり、何度か宿泊しましたのでそのたびに聖堂にも立ち寄りました。私はたいていJRの御茶ノ水から聖橋を渡るコースです。
第四十七景「昌平橋聖堂神田川」は夏の雨の風景です。

名所江戸百景047
↑昌平橋聖堂神田川

神田川に架かる「相生橋」とも呼ばれていた橋は、元禄四年(1691)に湯島聖堂(孔子廟)が建てられた時に、孔子生誕の地、昌平郷にちなんで「昌平橋」と名づけられました。現在、神田明神下交差点のすぐ南側です。私は渡ったことがありません。昌平橋はごくわずか、欄干程度しか見えません。神田川も両岸にさえぎられるように窮屈そうです。そして聖堂に至ってはその姿もありません。それにしても急勾配の坂道、切り立った崖。この橋を渡りこの坂を上りやっとたどり着くのが聖堂であり昌平黌であり。峻厳とした印象を持ちます。

JRでひと駅。水道橋に行きます。同じ神田川に架かる水道橋です。第四十八景「水道橋駿河台」は四十七景とは打って変わって明るい夏空です。

名所江戸百景048
↑水道橋駿河台

向きも四十七景とは違って南西側です。北斎は『富嶽三十六景』で東都駿台」を描いていますが、広重はずっと引いて本郷台から駿河台越しに富士山を眺めます。右下に見える水道橋を渡ると、今の日本大学のあるあたりですね。
目の前に鯉幟。中景にも鯉幟、吹流し、絵幟。そしてまた大きな富士山。駿河台は武家屋敷が連なっていましたので、男の子の成長は跡継ぎの意味でもとても重要だったでしょうね。何も言うことがないくらい健康で明るい絵だと思います。

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コメント

芸人の佇まい

講談師で人間国宝の一龍斎貞水さん。スキンヘッドで、怪談が有名ですね。

ご本『心を揺さぶる語り方』に、「生まれもいまの住まいも湯島天神の階段下」とありました。「階段下」と言っても半径50mくらいのどこかにご自宅があるんやろなぁと思いながら湯島天神にむかったところ、階段のすぐ横に「一龍斎貞水」の表札がかかったおうちがあったのでビックリ!(笑)

ご自宅1階はおかみさんが居酒屋をされている様子でしたが、いずれにせよ小体(こてい)な佇まいでした。

芸人が大きな家に住むなんて野暮。これは生涯長屋暮らしをされた林家彦六師匠の言葉でしたっけ。

♪やたけたの熊さん

米朝師匠が正岡容さんのお宅を発見なさったのを思い出してしまいました。
そういえば、私も以前あるところを歩いていて、「この辺が勘十郎さんのお宅だろうな」と思ってふと見たら目の前のお宅に桐竹勘十郎の表札がかかっていたこともありました。
ガラッと戸を開けると火鉢に煙草盆、「おや、お珍しい」なんて着物姿のお師匠さんがおっしゃったらさまになりますね。

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