名所江戸百景~目黒 

幕末の古地図を眺めてみると目黒辺りは武家屋敷もありますが、「畑」「田」「百姓地」「畑」「田」がいっぱい。
このあたりは台地で、北西から南東に向かって流れる目黒川沿いに傾斜しているため、南西側に開ける眺望がよいのです。
『名所江戸百景』第八十四景「目黒爺々が茶屋」は今の目黒区三田二丁目にあったといわれます。

名所江戸百景084
↑目黒爺々が茶屋

今はマンションなどの並ぶ茶屋坂は目黒台スカイマンションのあたりからくねくねと曲がって下る坂でこの途中に富士見茶屋があり、鷹狩りに行った将軍がこの茶屋のあるじを「爺」と呼んだため、「爺々が茶屋」ともいったのだとか。落語の「目黒のさんま」で殿様がさんまを食べたのはここをモデルにしているのだろうとされます。それはともかく、絵にあるように、坂道の途中、右隅に茶屋が見えます。
目の前に広がるのは田園風景。何もないといえばそうなのですが、遠方を眺める邪魔をするものが無いとも言えます。そしてその遠方には丹沢の山々。大山参りの大山も含みます。その奥に堂々たる富士山が見えます。アカマツの描き方といい、本当にこんな見事な風景があったのだろうかと思うくらいです。
目黒と富士山といえばやはり

    富士塚

を忘れるわけにはいかないのです。第二十五景「目黒元不二」第二十四景「目黒新富士」です。

名所江戸百景025
↑目黒元不二

名所江戸百景024
↑目黒新富士

江戸の人々は富士への憧れや信仰心、さらには旅の楽しみなどを求めて富士講を作って資金を工面して登りました。しかし誰でも登れるわけではないのが天下の霊峰です。女性や老人などは特に行きにくかったでしょう。そこで江戸のあちこちにミニアチュアの富士山、富士塚が作られました。「元不二」は大体マンションの四階くらいの高さに築かれたもので、人工の築山としてはなかなか立派なものと言うべきでしょうか。東急代官山の近くにあった元不二は今は立派なマンションの敷地内。文化九年(1812)に作られたのだそうです。大きな松の木が一本(「不二」より高い)、手前に元不二、奥に本物の富士山。「麓」には花見をする人々。「登山」している人の様子を見ますと道は九十九折になっているようです。
それに対して新富士は元不二の少し南東側。「爺々が茶屋」はすぐ近くです。これは書誌学者で探検家でもある

    近藤重蔵

の抱屋敷(別荘)に文政二年(1819)に築かれた山です。今の目黒区中目黒。高さは元不二よりもワンフロアー分くらい高かったので、さらに眺望はよかったようです。それでなくてもこのあたりは高台ですしね。
花見をする人たちがいて九十九折の道を登る人があり、元不二と新富士の絵は左右対称に近い構図です。しかし富士山の様子は違っており、そのあたりはやはり工夫されています。絵の中ほどの中景に大きな屋根が見えますが、これは祐天寺であろうと言われます。
元不二も新富士も爺々が茶屋と同じ方向を向いていますし近いですから、遠景は同じように丹沢の山々の向こうに富士という図です。

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目黒に住む友人は目黒川の桜をいつも自慢します。その目黒川の近くに松平主殿頭の抱屋敷がありました。とても景観がよくて「絶景観」と言われたそうです。
第二十三景「目黒千代が池」はその松平屋敷にあった池を描いています。今の目黒区目黒1丁目のあたりです。

名所江戸百景023
↑目黒千代か池

正平十三年(1358)に矢口渡で殺された新田義興の侍女千代が悲嘆のあまり身を投げたのでその名がついたのだそうです。絵にあるように滝が流れ落ちる見事な池です。桜が咲く中、三人の女性の姿が描かれます。やはり千代が池は女性がよく映るのでしょうか。
この近くには堀出雲守、森伊豆守、柳生対馬守、細川越中守、松平讃岐守らの抱屋敷もあり、別荘地だったようです。

第百十一景「目黒太鼓橋夕日の岡」。行人坂を下ったところ、目黒川に架かる石造りの橋が太鼓橋(一円相唐橋)です。

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↑目黒太鼓橋夕日の岡

冬景色で左側の夕日の岡は南西方向を向いているため、夕日が美しく見えたそうです。この絵は川上からですから、南南東のほうを向いていることになります。この太鼓橋はなんとあの八百屋お七の恋人吉三郎が架けたという伝承があるそうです。吉三郎はお七が火あぶりになったあと西運という僧になり各地を行脚したあと、太鼓橋のそば、行人坂沿い南側ににあった明王院に入ったと言われ、そこでお七地蔵を造ったり太鼓橋を架けたりしたと伝えられているのです。この明王院は今は無く、お七地蔵は隣の大円寺にあるそうです。
江戸名所図会も太鼓橋を描いており、これは川下右岸から見た図です。

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↑江戸名所図会 太鼓橋

見えないとは思いますが(笑)、左の茶店に「しるこ餅 正月屋」という行灯がかかっており、中で男性が餅をほおばっています。広重の絵で言うと右手前の屋根がそれにあたると思われます。『江戸名所図会』を見る限り、なかなかにぎわったところのようですが、それを広重はあえて冬の雪景色の静けさとして描いています。

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