fc2ブログ

名所江戸百景~新宿方面 

新宿は遊びにも行きましたし、京王線に親戚もありますのでそこそこ親しみがあります。
四谷から新宿通り(甲州街道)をひたすら歩くと外苑西通りと交差するところがかつての四谷大木戸。このあたりから町屋を隔てた南側を玉川上水が開渠になっていました。内藤新宿仲町から上町のまで上水南側は土手になっていて、桜並木だったそうです。
『名所江戸百景』第四十二景「玉川堤の花」は東側から見た図です。

名所江戸百景042
↑玉川堤の花

右側(北)は内藤新宿仲町。二階家がありますので、これは旅籠のようなところでしょうか。左側の桜並木の左手は武家屋敷が並んでいたところです。どこまで続くのかというような桜。老若男女の区別がありませんが、中には団体かと思われる揃いの傘をさす一行もあります。

第八十六景「四ツ谷内藤新宿」は甲州街道の最初の宿駅。

名所江戸百景086
↑四ツ谷内藤新宿

東側、つまり四ツ谷方面を見ています。もとは信州の内藤家下屋敷の一部で、そこを宿駅にしたものだそうですが、この絵では普通描かないだろう、と思うような馬の尻と馬糞がでかでかと。このあたりの主役は俺だ、と言わんばかりの存在感。わらじを付けた馬が東向きゃ尾は西です。馬方の姿はわずかに見えます。右側(南)は見えませんが、追分があり、青梅街道と甲州街道の分岐点です。そして左側(北)に旅籠が並んで、人の姿は絵の中では遠慮がちな存在。正面奥は内藤家の森でしょうか。
ここは宿場ですから遊女はいませんが、実際は飯盛女がいてその役割も果たしたとか。そういう風紀の乱れなどもあってやがて宿駅は20年ほどでいったん廃止され、再開までは50年以上を要しました。

青梅街道を西へ行き、東京都庁を過ぎたところに熊野神社があります。第五十景「角筈熊野十二社 俗称十二そう」。

名所江戸百景050
↑角筈熊野十二社

境内に滝や池があり、景勝地として愛されたようです。この絵は夏の納涼風景で、左手前に社殿、中央に広々とした池を配し、涼しげな雰囲気を醸し出しています。池にしなだれる柳が印象的で、納涼棚に涼んでいる人たちも心地よさそうです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

高田馬場というとやはり中山(堀部)安兵衛を思い出します。今はもうありませんが西早稲田三丁目のあたりに馬場がありました。馬場を作らせたのは三代家光で、東西六町、南北は三十間あまりだったそうです。
第百十五景「高田の馬場」は、まさにここです。

名所江戸百景115
↑高田の馬場

今の陸上競技場のように、周囲がトラック、内側がフィールドという感じです。つまり周囲で馬を走らせ、フィールド部分で弓の稽古をしたようです。絵の手前に的があり、皮が張られています。その下には矢が散乱していますが、的を外したものとは限らず、的に当たって落ちたものだと思われます。皮を破らないように矢じりは布でくるんであります。そして中景には馬を走らせる人とそれを見守る武士たち。雁が飛び、遠景には富士山。周囲は畑のようです。ちなみに、富士塚の最初のものは高田富士と呼ばれるもので、今の早稲田大学構内にあったそうです。残念ながらなくなり、水稲荷神社に移築されました。

馬場を北に行くと神田川。そこに架かっているのが面影橋(俤橋)で、このあたりが『東海道四谷怪談』の舞台になっているとされます。お岩と小仏小平の亡骸を戸板に打ち付けて「姿見の川」に流すとされているところです。今はおk¥も影橋となっていますが、この橋を姿見の橋と広重は認識しているようです。第百十六景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」を見てみます。

名所江戸百景116
↑高田姿見のはし俤の橋砂利場

この手前にあるのが神田川(上水)に架かる橋ですから、今でいう面影橋。ところが、広重は『絵本江戸土産』(第四篇)でこの橋を「山吹の里 姿見の橋」としているのです。そしておそらく、中景にあるわずかに見える小さな橋を広重は「俤橋」として描いているのだろうと思います。
一方、『江戸名所図会』はこの手前を「俤のはし」、遠方の橋を「姿見橋」と書いています。そして俤の橋の説明として「上水川に架(わた)す長十二間余あり 昔は板橋なりしか近頃は土橋となれり」として割注に「此(この)橋を姿見の橋と思ふは誤りなり次にしるす」としていて、混同されていたことと正しくは手前の大きな橋が面影橋だと明確に述べています。姿見の橋の名の由来については「昔此橋の左右に池ありて其(その)水泛(よどん)て流れす故に行人覗(のぞき)見みれは鏡の面に相対する如く水面湛然たる故に名とする」などの説を挙げています。
名前はともかく、この面影橋のあたりが例の太田道灌の「山吹」の話の場だとされています。「みのひとつだになきぞ悲しき」ですね。砂利場については、『江戸名所図会』に南蔵院(豊島区高田の高田氷川神社の向かい側)の北側に「砂利場村」が記され、氷川神社には砂利場の碑があるそうです。
ここからさらに神田上水を東に行くと、第四十景「せき口上水端はせを庵椿やま」の風景になります。芭蕉がこのあたりの改修工事にたずさわったときに住んだところに後に芭蕉庵が建てられたのです。

スポンサーサイト



コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3101-3451b0e0