名所江戸百景~亀戸界隈 

初めて『名所江戸百景』第三十景「亀戸梅屋敷」を観たとき「この絵、見覚えがある」と思いました。

名所江戸百景030
↑亀戸梅屋舗

そうです。実はゴッホが模写したほうを先に観ていたのです。なさけないです(笑)。「大橋あたけの夕立」とともにゴッホはこの梅屋敷も模写していて、摩訶不思議な漢字まで書いています。
本所の竪川には隅田川(大川)側から一ツ目、二ツ目、三ツ目と橋があり、その橋の延長が一ツ目通り、二ツ目通り・・となります。さすがに四ツ目あたりになるとかなり寂しくなり、横十間川を越えて五ツ目は橋がなく渡しになります。その五ツ目を北に行くと途中で畑に突き当たってしまいますが、畑を突っ切って(笑)直進したらほぼこの梅屋敷に行き当たります。ここには臥龍梅という珍しい形の木もありました。もともと伊勢屋彦右衛門という呉服商人(本所の人)の別荘だったそうで、「清香庵」といったそうです。梅は「色をも香をも知る人ぞ知る」のですが、闇でも隠れぬ香りこそが愛された最大の理由だろうと思います。この絵は目の前に梅を描いて遠景に梅林と憩う人々の姿を配しています。人々はあまり梅の木や花を見上げておらず、むしろ目の前の人と楽しげに会話しています。しかし香りは自然に漂ってきているのです。

梅といえば天神様。しかし第六十五景「亀戸天神境内」は梅ではなく藤が描かれます。季節は初夏になります。『名所江戸百景』には湯島天神も描かれますが、あちらは冬景色で、やはり梅は咲いていません。

名所江戸百景065
↑亀戸天神境内

亀戸天神は梅屋敷から南西すぐのところで、太宰府天満宮を模した設計がなされています。クロード・モネが亀戸天神の太鼓橋をモデルに自分のアトリエの庭に橋を作ったことは有名です。睡蓮の絵に出てきますね。
この絵の手前に松と藤。松にからまる藤は源氏物語や枕草子にも出てきますし、『藤娘』の舞台でもおなじみ。意匠としても愛されています。男性を松に、女性を藤にたとえることもあります。ツバメが高く低く飛んでいます。そして中景の太鼓橋には母子が下りに差し掛かり、別の女性が登ってきています。後ろに男性もいますが、藤の女性的な魅力と重ね合わせてはいけないでしょうか。遠景は藤棚の下で楽しむ人々。

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天神様もありがたいですが、妙見様もありがたいのです。第三十二景「柳しま」には妙見山法性寺が描かれています。

名所江戸百景032
↑柳しま

横十間川を北に遡ると北十間川に出合います。そこに架かっているのが柳島橋。この絵の右端から左下に流れるのが横十間川で、左やや上から右に流れるのが北十間川。左やや下に描かれる朱色塀の建物が妙見です。落語の「中村仲蔵」にありますが、定九郎の役をもらったものの、五段目なんて弁当幕だからと落ち込んでいたら奥さんに勧められて柳島の妙見様に七日間願を掛けに行った。しかし名案はなく、帰り道に蕎麦屋に寄ると浪人が入ってきてその姿を観て「これだ!」。これも妙見様のおかげ、という話です。
北斎は本所の生まれですが、やはりこの妙見様を信仰して、三七日(21日間)日参して落雷に遭ったあと目覚めたように腕が上がったのだとか。驚くのはこの妙見と近松門左衛門の関係です。近松が尼崎の広済寺に通って妙見信仰をしていたこと自体は有名ですが、彼の曾孫が柳島の妙見に供養碑を建てたのだそうです。今も再建された供養碑が境内にあります(私は見ていません)。
さて、もうひとつ注目されるのがその北隣にある二階建て。これは料亭の橋本です。芥川龍之介の「本所両国」にも「橋本の前で円タクをおり、水のどす黒い掘割伝ひに亀井戸の天神様へ行つて見ることにした」とあります。ただ、芥川のころは「名高い橋本も今は食堂に変つてゐる」と書いており、かつての面影はなかったようです。妙見と橋本。聖と俗といっては語弊があるかもしれませんが、どちらも大事な文化だと思います。広重の絵は中ほどから上は薄墨色一色になり、はるかかなたには筑波山。そしてそこから上はまた明るい黄色と白と紺になります。

第三十一景「吾嬬の森連理の梓」は亀戸梅屋敷北東、北十間川の対岸です。今の墨田区立花1丁目にあります。

名所江戸百景031
↑吾嬬の森連理の梓

この絵を観るにはヤマトタケルの逸話が重要になってきます。東征の途中、ヤマトタケルは海難に遭い、あわや船が沈みそうになります。そのとき妻のオトタチバナが入水して海の神を鎮めたためヤマトタケルは無事だったという話です。そのオトタチバナの衣がここに流れ着いたので、ヤマトタケルが丁重に祀り、さらに彼がその時食事に用いた箸を土に立てるとそれが成長して連理の樟となったという伝承があるようです。
手前が北十間川、満開の桜並木があります。そして鳥居を入ると幟の並んだ参道。その奥に見事な連理の樟が見えています。空には帰雁。
広重は「江戸近郊八景之内 吾嬬杜夜雨」にもここを描いており、よく似たアングルです。

吾妻
↑広重「吾嬬杜夜雨」

ただし、この森は関東大震災や東京大空襲の影響で姿を消しました。この神社のある立花という町名はもちろんオトタチバナによります。広重は連理の樟ではなく連理の梓としています。

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