名所江戸百景~江戸の北、西、南 

『名所江戸百景』、すべてをご紹介したわけではありませんが、最後に江戸の北と西と南の風景をいくつか。
第二十景「川口のわたし善光寺」。

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↑川口のわたし善光寺

江戸幕府にとって、日光東照宮は権現様家康を祀る大事な神社。関西人の私にはあの派手な門だけが思い浮かぶのですが(笑)、今や関東地方では新たに登録の決まった富岡製糸場とともに(富士山を中部地方として)数少ない世界文化遺産でもあります。代々の将軍も日光には特別の思いがあったはずで、将軍が参詣するときに通る道が「御成道」。その道筋を岩淵宿(東京都北区)から川口宿に荒川を渡るのが岩淵渡船場、これが川口の渡しです。ただし、将軍が渡るときは船には乗らず、船橋(舟を連ねてその上に板を置いて橋にする)を設けて渡ったのだそうです。庶民はもちろん舟。これが右手前に見えるものです。手前が岩淵側で、対岸上のほうに善光寺が見えます。江戸の人は信州の善光寺参りを好んだようですが、なかなか遠くて行けません。そこでこの川口の善光寺で済ませることも多かったようです。渡し舟以外は筏。やはり江戸から見るとかなり奥まったところ、という感じがします。

江戸の西というと第八十七景「井の頭の池 弁天の社」。

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↑井の頭の池弁天の社

武蔵野というと東京の果てのように思っていましたが、今や住宅も多く、私の知人も数多く住んでいます。東京都心まで出るのも便利ですね。ここも私は行ったことがありません。井の頭池は神田上水の水源で、とても水量の多い湧水池です。今は井の頭恩賜公園になっています。池畔に三代将軍家光が「井頭」とこぶしの木に彫った(井の頭の名前の由来という)という旧跡がありますが、その東側に弁天社があります。この絵は南側からその弁天社を描いていることになります。現在の自然文化園はずっと西のほうになります。

江戸の南は蒲田方面になります。
第百九景「南品川鮫洲海岸」。

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大森のあたりでは海苔の養殖が行われていました秋に立てていた粗朶(そだ)に付着した海苔を収穫する人たちが手前に描かれています。漕ぎ手と摘み手がいるようです。「名物浅草海苔海」と記す古地図もあるように、浅草海苔としても売られたようです。右側に群れ飛んでいるのは千鳥でしょうか。北のほうには船が浮かび、はるかかなたにはやはり筑波山。真ん中上空には雁の姿も見えます。

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第百十景「千束の池袈裟懸松」。

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今は洗足池と表記する(地名としては千束)池ですがそれは日蓮上人の話によるようです。晩年に身延山から常陸国に向かうとき、ここで休憩して足を洗ったという伝承があるのです。そのときに袈裟を掛けたのが絵の真ん中にある松だということです(現存せず)。池には鶴が舞い、手前の中原街道には歩く人、馬や駕籠に乗る人がいます。

第二十六景「八景坂鎧掛松」。

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松に掛けるのは袈裟だけではありません。
八景坂はJR大森駅西側の池上通りの坂。もとは雨が降ると坂道が薬研のように掘られたので「薬研坂」、それが訛って「やけいざか」→「八景坂(はっけいざか)」となったともいわれますが、八景が見渡せるという意味でこの字を当てるようになったのでしょう。天祖神社の石段のところには八景碑があって近江八景さながらに「大森暮雪」「大井落雁」などが記されています。ここにはいまはもうありませんが、八幡太郎義家が奥州に向かうときに鎧を掛けたという松があったそうで、それが絵に実に不思議なまでの姿で大きく描かれています。坂道を登る駕籠、坂の上の松と茶店。中景には東海道(海岸沿い)が見え、旅人の姿もあります。はるか東方には房総半島が見えています。

さらに南へ行くと蒲田。第二十七景「蒲田の梅園」です。

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↑蒲田の梅園

蒲田には梅の木が多く、梅干も名物です。近江梅ノ木村に和中散の店があったことは以前書いたことがありますが、梅の木つながりで、この地にも和中散の店があったそうです。広重の絵は山本久三郎という人の梅園だそうで、数え切れないような梅の木があります。右手前には駕籠。わざわざここまで梅見に来た遠来の人のものでしょうか。左手に池があり四阿で休む人もいます。

最後に、第七十二景「はねだのわたし弁天の社」です。

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↑はねたのわたし弁天の社

羽田から多摩川を川崎大師のほうまで渡すのが羽田の渡し。手前に船頭のたくましいうでと足。力が入っています。そして左に弁天社が見えます。真ん中には常夜灯。ひなびた雰囲気がありますが、こんなところに飛行場ができるとは広重も思いもよらぬことでした。

ながながと、断続的に広重の『江戸名所百景』を眺めながら東京とその近辺をブログ上で歩いてみました。江戸でこれですから、京で同じことをしようとしたらたいへんなことになりそうです。
しかし、東京の街にもずいぶんお世話になりました。感謝しています。

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