目立つ玉女、目立たぬ勘十郎 

文楽4月公演の感想をいくらか。
朝から晩まで劇場にいたら10時間余り。
さすがにくたびれます。通しの醍醐味はじゅうぶんでした。
言え、まだ七十代でいらした越路師匠が桜丸切腹、住、織、十九、伊達、嶋が五十代から六十代の脂の乗ったころ。それが四半世紀前の4月でした。あの時も充実感がありましたが、今回は私もいくらか成長している(自分だけが思っているのかも知れませんが)だけに、またとてもよかったです。
びっくりしたのが

    玉女さん

の菅丞相。人にして人に非ずという人物をじっくり見せてくださいました。あれはやはり玉男師匠の演技を目の前で長年ご覧になった方ならではだろうと思います。今度は玉女さんの下の世代がよく見て次につなげていただきたいと思います。
孔明首はとても難しそうに思います。「大内」はまだ人間味がありますが、「築地」で早くも周りを寄せ付けない空気を出し、いらぬ動きを排して、歩みもしずしずと重く見せます。「名残」ではその神々しさが頂点に達し、達したところで苅屋姫との別れがあり、かすかに俗世への、都への、肉親への愛着を見せる。だからこそ真実味を感じさせる。ずんと心に響くところです。ここまでは人にして人に非ずの丞相。
「天拝山」での怒りは人間としての怒りが

    鬼神

のそれと化して行く。つまり完全に神になっていく。
人として人を寄せ付けなかった「築地」「名残」から神となり行くために人を寄せ付けない「天拝山」。白太夫も梅王も容赦なく跳ね飛ばす荒ぶる神。「天拝山」の途中までは孔明のままというわけにはいかないですかね。ひげがないからダメか・・・。丞相が激怒するところの転換点が何となく物足りないような気がして。
しかし玉女さんは今回しっかり二代目襲名への足掛かりというかステップアップというか、大きなきっかけを得たと思います。とても目立った秀演でした。

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一方、勘十郎さんなのですが、実は私、「あれ? 勘十郎さん、出てたよね」という印象を持ってしまったのです。不思議なくらい目立ちませんでした。だいたい、こういうときはあまり演技として秀逸ではないことが多いのですが、そうではなかったのです。松王が芝居の時間を動かしていき、彼自身変化していく過程がよく見えました。悪そうな手前勝手な次男坊っぽい登場の仕方ですが、口でいうだけのことはあって腕っぷしもたいしたもの。迫力ある喧嘩もくり広げました。本当は「北嵯峨」があって、そこで彼は御台を連れ去るのですが、その謎の行動が「寺子屋」で一気にほぐれる。
で、あとはおなじみの役回りです。
彼は父親が嫌いではない。大事に思っているのですが、どこかそりが合わないのだろうと思います。それがまた悔しく、

    ファザコン

のようになっているのではないか。それでちょっと拗ねた方向に行ってしまうのですが、やはり兄弟も父も大事です。
白太夫は松王のことをかなり悪しざまに言いますが、父親というのはだいたい息子のことをそんなによくは言わないものです。自分を映す鏡のようなところがあって、どうしてそんな馬鹿な生き方をするのか、それじゃあ俺と一緒じゃないか、とでもいうような苛立ちを覚える。それで必要以上に悪くいってしまう。でも自分の血を継いでくれるのは息子以外にはないのです。そういう形で父と息子のきずなは存在する。あえて言うなら父が息子を罵倒できるならそれはそれで幸せな姿なのだと思います。息子なんてめったにほめるものではない。
ところが松王は自分も父親になってしまった。その子を丞相の子の身代わりにせねばならない苦悩は言葉にできるものではないでしょう。そして、せめて悪あがきしたならかわいそうだ、と思えたのに、逃げ隠れもせずにっこりと笑って死んでいったと聞かされてはもう泣き笑いをするほかはありません。けなげなやつ、立派なやつ、とほめることの哀しさ。父親にけなされてきた自分はこうして生きていて、自分が褒めちぎらざるを得ない幼い息子はもうこの世にいない。生半可な哀しみではありません。
文楽のヒーローの悲しみは飛び切りのものでなければならない。追い詰められて、自分でも自分を追いつめて、ついに訪れる悲劇。
…そんなことを思って芝居を見ているともうたまらないくらい涙があふれました。終演後は誰にも会いたくない、そんな気持ちにさせられるのが文楽です(といってもよく知り合いに会いますが)。
ということなのですが、それで

    勘十郎さん

はどこにいたの? という気になったのです。あたかも松王に隠れていたかのようにその存在が目立たなかったのです。
ですから名演なのです。名演なのに目立たなかった、ということなのです。
目立った玉女、目立たなかった勘十郎。この公演では不思議な感慨を抱きました。

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コメント

新しい境地に

お二人とも立たれたのだと感じました。玉女さんの菅丞相、これまでとまったく違った感触で、木像が動く奇瑞ももっともと見える神的な格を、実に見事に遣われていました。
 勘十郎さんも、性根をつかんでというのは確かなのですが、それ以上に、人形でなければできない表現の領域で遣われたと思いました。
 お二人と競い合うように、人間としての強さ弱さを描き出した和生さんの武部源蔵、京大の悲劇を体現しながらも生き生きと動かれた清十郎さんの桜丸、息子たちの悲劇を胸に納めきれぬ白大夫の玉也さん、今回の「菅原」は、人形陣の新たな一歩であったと思います。

♪まゆみこさん

ありがとうございます。とても参考になります。
後日書きますが、戸浪と源蔵がとても面白く思いました。
清十郎さんは桜丸なら切腹を観たいと思ってしまいます。「車曳」は柔らかすぎるかなと思いました。
若手会も寺子屋ですから期待されます。玉佳ちゃんの松王をぜひ観たいです。今年はよほどのことがない限り観に行くつもりです。

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