三勇士名誉肉弾(その1) 

こんなマクラで始まる浄瑠璃をご存じでしょうか。

  志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず、
  勇士はその元(げん)を失ふを忘れずとかや


いかにも古典のにおいのする作品のようですが、これがなんと昭和の新作。さすがにこの時代にはこういう言葉をつむぐことのできるインテリがいたんだ、と感心してしまいます。原作は松居松翁、脚色が食満南北、そして作曲は鶴澤友次郎という作品です。
しかし今思うと、あくまで今思うとですが、この作品に対しては感心できるものかどうか、との思いを禁じえません。
折りしも5・15事件のあった日と同じ5月15日、安倍総理大臣は「問答無用」とばかりに憲法解釈を改めて集団的自衛権を合憲とする考えを示しました。そんなことができるものかと唖然としてしまいました。
私はかなり強く反発しているのですが、法律に疎く、政治的発言ができるほど勉強もしていません。だからこそ、あえて以下に今から82年前の文楽作品についてご紹介することで気持ちの一端を披瀝せんと思います。

昭和7年、上海事変の折、2月22日に上海の敵陣に張られた鉄条網を破るために、一等兵であった独立工兵第18大隊の北川丞、江下武二、作江伊之助の三名が点火した破壊筒を抱えたまま突撃し、鉄条網は破ったものの三人も爆死したという凄絶な話です。
この「美談」は「爆弾三勇士」「肉弾三勇士」として称揚され、3人の兵士は二階級特進したのだそうです。

この話に飛びついたのが映画であり歌舞伎であり、新派であり、そして文楽でした。
歌舞伎は事件直後の3月に六代目菊五郎、十五代目羽左衛門らで「肉弾三勇士」として上演。書き下ろしたのが松居松翁(1870~1933)です。松翁はあまたの歌舞伎作品や「エディプス王」(「オィディプス王」などの翻訳劇、その他を多作した劇作家です。これを関西歌舞伎を支えた劇作家食満南北(1880~1957)が脚色したのが文楽版ということになります。
同年4月に四つ橋文楽座で

    三勇士名誉肉弾
      (さんゆうしほまれのにくだん)


として上演しています。
その番付を見ますと、

    昔の義士は「忠臣蔵」
    今の忠烈は「三勇士」

と割書があります。
その通り、前狂言は「仮名手本忠臣蔵」の「兜改」「下馬先進物」「殿中刃傷」「裏門」「扇ヶ谷」「霞ヶ関」「二ッ玉」「身売」「勘平切腹」「祇園一力」「道行 旅路の嫁入」「山科閑居」(番付表記のママ)で、切狂言が「三勇士」だったのです。

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太夫は
  下元旅団長  竹本大隅太夫
  江下一等兵  竹本相生太夫
  北川一等兵  豊竹呂太夫
  作江一等兵  豊竹つばめ太夫
  松下中隊長  竹本鏡太夫
  小隊長    竹本小春太夫  ほか

三味線は
  鶴澤友次郎
  豊澤仙糸
  豊澤広助    ほか

人形は

  江下一等兵  吉田文五郎
  作江一等兵  吉田栄三
  北川一等兵  桐竹紋十郎
  下元旅団長  吉田玉次郎
  松下中隊長  吉田玉松
  島田一等兵  吉田玉幸
  村上一等兵  吉田傳之助    ほか

でした。
大隅太夫は四代目、相生太夫は三代目、呂太夫は二代目、つばめ太夫は後の八代目綱太夫、小春太夫は後の七代目土佐大夫です。
三味線は作曲も担当した友次郎以下で、人形はご覧のとおりの大顔合わせです。
昭和十五年にも大隅、和泉、相生、織らで再演されていますが、その時に至っては「奉頌皇統二千六百年」として上(鎌倉時代)が「伏見の里」、中(南北朝)が「大楠公」、そして下が「三勇士」の三部立てで上演されています。この年は皇紀二千六百年だったのですね。

最初に申しましたように、突然こんなことを書いたのは、「集団的自衛権」に関する憲法の解釈変更問題にからんでのことです。
ほんとうにいいのだろうか、という思いをこめて、あえてこの作品の概要を明日と明後日に分けて紹介します。

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コメント

肉弾三勇士

そう言えば「肉弾三勇士」は福岡県の久留米出身、だと記憶して居ります。我が福岡県では必須の知識のはず、で。

それ以上のコメントは湧かない、と言うのが正直な所です。お話が進みましたら折々に、と。

♪しろくまさん

そうです、
久留米の人です。「狼じゃなか」(狼じゃないよ)という言葉も出てきます。久留米の小学生から手紙が来るエピソードも見えます。

久留米

浄瑠璃本文にそう言う旨、有りましたか、へぇ、です。

久留米、と言えば大きな筑後川がデデン、との印象が強く、ブリヂストンは言わずと知れた話、で、冬の半纏、大学時代に求めましたが、京都の何処でも久留米産、でした。

余り知られて居ない顔、としては九大医学部の次に古い医学校の街、陸軍の街、と言うイメージが有ります。
看護師さんに意外、久留米で勉強した、と言う方が多くて。

陸軍の街、としては高良台演習場が有り、私もボーイスカウトの大会で泊まった事が有ります。あの忌まわしい「インパール作戦」も久留米の部隊だっけ?と思ったら確かに、でした。

確か住師匠が駆け出しの頃、汽車に乗り遅れたのが久留米、と記憶しております。今では新幹線も止まりますが。
久留米方面の「筑後」は美人の産地で、と蛇足しておきます。

♪しろくまさん

九州については疎く、地理もよくわかっていません。ブリジストンの工場があるのですね。
今、地図を見て発見しました。久留米市って福岡県だったのですね。地理、ダメです。

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