三勇士名誉肉弾(その3) 

北川、江下、作江の三人は月の光を浴びながら語ります。
作江「ああ、月はますます冴えているなあ。おい北川、何をぼんやり考えているのだ。何か国のことでも思い出したのか」
北川「なに、そうじゃないよ。おれはひそかに謀をめぐらしている、とでもいうのかな。とにかく考えているんだな」
作江「なに、謀。ははは、考えもくそもあるものか。この場合手段はたった一つしかないのだ」
北川「貴様の手段てのはたいてい見当が付いているよ。負けず嫌いの貴様のことだから、鉄条網へ食いつこうとでもいうんじゃろ」
などと笑い合っています。そこに内田伍長が来て、江下に国からの郵便を手渡すついでに、三人に「選抜されてよかった、しっかりやってくれ」と言って立ち去ります。
江下に届いた手紙は日本を立つとき

    久留米の停車場

で会った少年からでした。その少年とは、江下に「天子様のために働いてください」と激励の言葉をかけた小学生なのです。
江下は
「おれはあの少年のひとことのためにいつでも死ねる気になって、愉快に日本を出てくることができたんだ。もうすぐ死ぬるかもわからないが、こうしてのんきにしていられるのは、やはりあの少年の力なんだ」といって手紙を読み始めます。

  私の大事な兵隊さん。あなたは立派な手柄をして、
  久留米へ帰ってくる日を私は毎日指を折って待って
  居りますよ。あなたの凱旋の時には、家中、お父さ
  んもお母さんも兄さんも妹もみんなで迎えに行きます。
  私の大事な大事な兵隊さん。本当に天子様のために
  働いて死なないで帰ってきてください。

三人はかわいいことを書くものだと涙しています。

三人は今回の使命の困難について話し合います。
「あの鉄条網は誰も手が付けられないもので、破壊筒を担ぎこんでも、口火をつける前にやられてしまう。だからしっかりやらなければならない」と話していると、どうやら三人とも同じことを考えているようなのです。
「破壊筒を自分のからだへくくりつけて

    からだと一緒に爆発

させる考え」が「日本軍隊にとってたったひとつの名策」だと一致したのです。

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三人は水盃のかわりにタバコの回しのみをして心を落ち着けています。
うまく鉄条網に近づくためには月が明るいと具合が悪いのですが、雲が出てきました。
作江には、父親かつて日露戦争のときに輜重輸卒(しちょうゆそつ)だったために勲章ひとつもらわずに帰ったため、両親は悔しがった過去があります。輜重輸卒は食糧の輸送に従事した兵卒で、「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々とんぼも鳥のうち。 焼いた魚が泳ぎだし、絵に描くだるまにゃ手足出て、電信柱に花が咲く」と軽んじられたといいます。それだけに、「今回のことをお母さんが聞いたら喜んでくれるだろう」といわれた作江は、「子供の頃から立派な軍人になって国のために働けといわれていたから嬉しい」と答えます。
破壊筒をからだに縛り付けていくという計画を中隊長に話しておこうかとも考えたのですが、そんな無茶はするなと、止められるかも知れないから黙って行こうと結論を出します。
三人が出かけようとすると機関銃の音がします。先発隊、後発隊が出かけたのに鉄条網が爆発する音もなく敵に撃たれたようです。
馬田軍曹が駆けてきて、先発隊も後発隊も全滅したと伝えていきました。
おりしも月が隠れました。天佑だとばかりに三人は目を見合わせて出発します。

  心の覚悟お国のため、身は肉弾の三勇士。
  さすがは桜大和の誇り。その花またぬ勇士
  と勇士互いに抱き、月影も雲に隠れて打ち
  出す砲弾の響き轟(とど)きて、廟行鎮の要害
  は、蜘蛛手と張りし鉄条網、近づくこともなら
  の葉のこの手もかの手も尽き果てて策を施す
  すべもなし。おりしも忍ぶ三人の影、破壊筒
  をひんだかへ乱射乱撃ものかはと探照燈の
  光を避け、鉄条網に迫りゆく。

そして点火します。

  天皇陛下万歳、大日本帝国万歳、万歳の
  声もろとも、天地もゆるがす大爆音。さしも
  誇りし堅塁も敗れてここに突撃路

ついに三人はあたら若い命を散らせてしまいます。
夜が明けます。下元少将(旅団長)がしずしずとあらわれ、松下中隊長の報告を詳しく聞きます。少将は
「堅固の鉄条網も破壊され、突撃路は開かれ、容易にわが軍の勝利になったるも、みなこれ三勇士の賜物じゃ」
と三人を称賛します。
(ここで軍歌が歌われたようです)
そして最後の一節は「肉弾ここに奏功の誉れを世々に伝えふらん」

なんとも悲しい話です。今この作品を読む価値があるとすると、二度とこういう時代にしてはならないという思いを致すことだろうと思います。
結局命を散らすのは名もない若い兵士たちです。
恋も結婚も子を持つ喜びも老いて心が充実する楽しみも、何も持たずに戦地に散るのです。
国のために戦うべきだという人もいます。しかし、国とはひとりひとりの人間が幸福に生きるための方便のようなものではないかと思います。
国を「守る」ことが目的化してよいものか、と思えてなりません。

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