尼崎(続) 

尼崎市のなさっていることにケチをつけているつもりはありません。むしろ尼崎の持っている史跡をもっと丁寧に多くの人に見てもらいたいから書いているとお考えください。

さて、何とか辰巳神社に行くとなんだかよくわからない石碑があって、凝視するとなるほど

    「静なごりの橋」

と書かれていました。説明はなし、すぐ横のぶつかりそうな位置に車が止めてある。がっかりでした。この文字を見ただけで何がわかりますか? 静かな、ごりの橋?

静名残の橋
↑静なごりの橋

見に来なくてもいいよと言われているような感じでした。
この神社にはもうひとつ

    「辰巳渡仇討の碑」

があるのです。伊予藤堂家の家臣、高畑なにがしという人が殺され、その妻が辰巳の渡しで敵討ちを果たし、彼女はその場で自害したのだそうです。私が見落としたのかもしれないのですが、そういう説明は見当たりませんでした。仮にここを通りかかった人が目にとめても、「なに、これ?」で終わってしまいそうです。

辰巳渡仇討址
↑辰巳渡仇討址

阪神大物駅の北側には大物崩れの碑があります。
細川政元の養子のうち澄元と高国が抗争を繰り返していました。澄元亡き後、子の晴元や彼と連携した三好元長が高国を攻めます。そして享禄4年6月4日に大物で行われた合戦が「大物崩れ」です。結局三好元長らが、高国を破り、高国は逃げるのですが捕えられて尼崎の広徳寺で自害させられます。
これはさすがにきちんとした説明板が建てられています。

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尼崎には尼崎城がありました。そして、

    大物城

という別の古い城があったようです(尼崎城と同一だいわれることもありますが)。
大物城については今は遺構などありませんが、阪神電鉄の尼崎駅の近くにある尼崎車庫からさらに東の方に城があったのではないかとも言われています。ただ、さほど大規模なものではなかったのかもしれません。
この大物城についてもどこかに説明がないものかと思ったのですが見当たりませんでした。
尼崎城は琴浦城ともいわれ、阪神尼崎駅の南東側に石垣が復元されていますし、発掘調査も行われています。城域内の跡地に位置する

    明城小学校

にはかわいい城のミニアチュアも建てられています。
阪神沿線にはこのようにいろいろあるのですが、どうも行きにくいというか、歓迎されていない(笑)というか。
尼崎市というと古墳も多く、近松門左衛門の墓があることでも知られます。「近松の町」というアピールもしているのですが、これもまだまだ宣伝不足で近松記念館など、行ってみるとなんだかさびれた感じで物足りないのです。

尼崎城址
↑尼崎城石垣(復元)右奥が市立図書館

尼崎市は以前は兵庫県では人口も第三位でしたが、今ではお隣の西宮市に追い抜かれ、おそらくこれからも西宮市に引き離されるのではないかと思います。
阪神工業地帯の主要都市ではありましたが、それももう今は昔で、これからの発展の道は何なのかを探らねばならないでしょう。
失礼ながら、あまりきれいな街という印象がありません。西宮や芦屋に比べるとなんだか住みにくそうにさえ感じます。実際は高級住宅などもあるのですが、印象としてはどうも・・・。
文化や歴史を誇るのはいいことだと思います。
尼崎には近松の墓があるとともに文楽や能にゆかりの地もあります。この町の文化都市としての発展をお祈りしています。

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