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百人一首姥がゑとき(二) 

天智天皇の娘でもある持統天皇の歌

  春過ぎて夏来にけらし
    白妙の衣干すてふ
         天香具山

は「春が過ぎて夏がやって来たらしい。あの真っ白な衣を干すという天香具山よ」ということですが、大和三山の代表的な山と夏の訪れを感じさせる小白い衣を詠んだものです。『万葉集』の原作は「衣干したり」と読めます。これですと実景のようですが、「衣干すてふ」だと人づてに聞いたような感じです。

持統天皇


絵は、川で布を洗って、それを村の方まで持ち帰ろうとする二人の女性を中心に描かれます。しかし、彼女たちの足は村に向かっているというよりは天香具山を指しているようにすら見えます。画面右奥には村があってそこには同じように洗われた布が干されているのですから、彼女たちはそちらに行けば良さそうに思うのですが。天香具山は赤く描かれます。朝焼けの山でしょうか。あたかもこの山の赤々とした熱に布を晒そうかとでもいうように見えるのですが、それは考え過ぎでしょうか。陸にいる男が二人、川を渡る(向き合っている)男が二人、そして画面左側に魚でもとろうとしているかのような男が二人。二人一組に描かれているようで、彼らの肌の色は男たちの肌の色はいずれもひとりは白く、もうひとりは肌色。川に入ろうとする男たちは過ぎ去り、女二人は香具山に向かって(実際は村に向かうのでしょうが)行く。春過ぎて夏が来る、その

    過ぎるものと来るもの

を象徴するかのような人物です。あるいは荷物を抱えた男たちが、布を干しに行く女を見て「夏が来たらしい」と実感しているのかもしれません。川の流れを見ると右側が川上。そして黒っぽい筋が川を渡る男の足から出ているだけでなく、川上からも見えます。あるいはこれは他の人物の存在を暗示するものでしょうか。

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柿本人麻呂は後世の歌人たちから歌の聖として崇敬された人です。

    あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を
        独りかも寝む

は「山鳥の尾の垂れ下がった尾のように長い長い夜を独りで寝ることだ」という、恋する者の煩悶を詠んでいます。「あしびきの」は奈良時代には清音で「あしひきの」だったようですが、あくまで『万葉集』ではなく『百人一首』の歌ということで、濁音で表記しておきました。いいたいことは四句と結句なのですが、そこに至るまで、文字通り長々と言葉を連ねて独り寝の夜の長さをうまく表現しています。

人麻呂

何人もの人物が描かれますが、一番小さく描かれている、画面左真ん中辺りの家に居る人物がこの歌の主人公のように思えます。所在なげに肘をついて外を見やっています。歌から考えると山鳥が描かれていてもよいところですが、どこを探しても見当たりません。その代わりに注目されるのは、右下の焚き火とそこから延々と伸びる煙ですね。この焚き火の火種になっている木っ端を見てみると

    鳥のような形

をしていると思うのですが、考え過ぎでしょうか。右の方に頭、左が尾。そしてその煙は鳥の長い長い尾のようにどこまでも続いています。画面から出てもまだ途切れることはないのです。肘をついている男はこの煙を見て山鳥の尾のようだと見て取ったのでしょうか。そして画面左手前には八人の漁師が同じような装束に身を包み、腰蓑をつけて力一杯曵き網を引いています。彼らは色も恋も今はなく、ただただ生活のために夢中になっており、物思いする男とは対照的な存在だと思います。力強く踏ん張った「足」と「曵き網」もまた「あしびきの」という言葉とつながりを感じます。それにしても、左側から流れる水、漁師から焚き火、そして右下から立ち上る煙、広がる空、孤独な男・・と、観るものの視線を自在に操るかのような北斎の構図ではないかと思います。左から右へのベクトルが流れる水と焚き火の鳥の向き。それに逆行するのが漁師と煙。空は薄暗く、間もなく訪れる夜を感じさせます。「足」「曵き」「山鳥」「尾」「長々」「夜」「独り」が描かれているように思います。

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