百人一首姥がゑとき(三) 

山部赤人は『万葉集』随一の叙景歌人とも言われます。

  田子の浦にうち出でてみれば
     白妙の富士の高嶺に
          雪は降りつつ

は「田子の浦に出て見ると富士の高嶺には今も白い雪が降っている」という簡単な内容です。海から見上げた富士の絶景。で、季節を問わずに雪をいただいていることへの驚愕でしょう。

赤人

画面左半分に海と富士。富士山は今も雪が降り続いているはずですが、空にそれらしきものは見えません。ただ裾野近くまで鹿子まだらに白くなっています。では真冬の情景なのかと言うと、右側に描かれる人々の様子を見るとそんなことはなく、駕籠舁きなどはほぼ裸になっています。こんな時期に雪は降らないだろうと思っていたら、なんとあの霊峰富士には今も降っているようだ、という驚き。

    海の青、空の青

にも染まることなく白い富士が聳えています。『伊勢物語』に「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪の降るらむ」とあるのも思い起こされます。山に積もる雪の描き方は上は濃く、したはまだらで、葡萄の房のように垂れ下がっているように見えます。
旅人らしき人々はまったく富士を観ていません。そもそも山道を登る彼らから富士山が見えるのかどうかも定かではありません。一番上の二人は笠に手をやる人と腰をかがめるような仕草を見せる人。挨拶でもしているのでしょうか。三人目の男は駕籠舁きと(あるいは駕籠に乗っている人と)対になっているようです。そのあとには女性の旅人も見えます。崖道を登る人たちは、混み合っていることもあって、息づかいが聞こえるようで、泰然として動ずることのない富士山と対照をなしています。彼らは「田子の浦にうち出でて」いない人たちです。美しい叙景歌ではありますが、北斎はそれを風景画としてのみ描かず、もうひとつ、風景とは無縁にひたすら歩みを進める、人の営みをも描いてみせたのだと思います。もう一つ印象的なのは海に浮かぶ二艘の船。こちらがむしろ「田子の浦にうち出でて」いることになります。向きが逆になっていますので、やはり動きを感じます。北斎は「富嶽三十六景」の中に「東海道江尻田子の浦略図」も描いています。こちらは海で働く人々(舟人、塩田作業の人)を見守るようにやはり鹿子まだらの雪をいただく富士山(山全体が白いのではなく、藍色が勝っています)を描いています。

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猿丸太夫作と伝えられる

  奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聴く時ぞ
    秋は悲しき

は意味を書く必要がないほどわかりやすい歌です。四句まで切れることもなく詠み下ろされています。詩歌の世界で「秋は悲しい」というのはそんなに古くからある考え方ではなく、平安時代以降のことだと思われます。『百人一首』には「月見ればちぢにものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里。平安時代の漢詩人、歌人。この歌は『古今和歌集』所収)もあります。

猿丸太夫

鹿と紅葉は花札の絵にもなる通り、古来切っても切れない縁にあります。この絵の近景は熊手と籠と頭に載せた手拭を共通のアイテムとする裸足の女たち。あえて類型化して個性を抑えているように感じます。山で

    落ち葉掻き

をしての帰り道なのでしょう。右の五人は整然として下って行きますが、左の五人は足を止めておしゃべりでもしているかのようです。そして真ん中に居る二人は奥山の方を指差しています。その指の彼方には二頭の鹿。彼女たちは目で見つけたのではなく、鳴き声のするほうを振り向いてみるとそこに鹿が居たという感じです。「あ、鹿の声がする」「ほら、あそこだよ」と言っているようです。山は紅葉が一日の労働を癒すかのように美しい光を放って夕焼けに溶け込むかのようです。鹿の鳴く声は漢詩では友を呼ぶ声と言われ、日本では『万葉集』をはじめとして

    妻を求める声

とも言われます。大伴家持も「山彦の相響(とよ)むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺にひとりのみして」と詠んでいます。立ち止まって鹿の方を見た女たちは、睦まじい夫婦の鹿に促されるように友達と一緒に夫(つま)の待つ我が家に帰って行くのでしょう。画面の右端には家々とともに男の姿が見えます。構図上、かなり高い位置に描かれていますが、実際は山の麓にある家なのかもしれません。

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