百人一首姥がゑとき(七) 

藤原敏行は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌でも知られる、なかなか優れた歌人です。同時に書家としても名を残しています。

  住之江の岸に寄る波
    夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ

住之江の岸に寄る波ではないが、夜までも私の思いが夢となってあなたに届くはずなのにその夢の通い路をあなたは避けるのですか。住之江は大阪住吉大社のある辺り。あのあたりは今でこそ内陸になっていますが、もともと海のすぐ近くで、松で知られる名所でもありました。そもそも住吉は航海安全の神でもありました。その住吉に寄る波のように繰り返し毎晩夢で思いを届けようと思っているのに、あなたは昼ばかりかその夜まで私を避けるのですかと痛切な恋心を詠んでいます。

敏行

この絵を観ると思い出すのはやはり北斎の『富嶽三十六景』のうちの「上総ノ海路」です。こんな絵です。

上総海路

似ていますよね。セルフパクリ(?)。舟も全く同じではありませんが、はっきり違うのは背景です。『富嶽』は当然富士山が見えていますが、こちらは小さく神社のような建物が見えます。そしてその右側には

    太鼓橋

のようなものも。どうもこれが住吉大社を指しているようです。
舟は波を立てて進んでいます。その波は住之江の浜のほうまでやがては届くのでしょう。舟の姿ははっきりしていますが、画面中ほど、つまり住吉大社の部分から右の鳥が飛んでいるあたりにかけて、薄暗くなっています。ただ、その薄暗さは一様ではなく、舟の帆が左右を分けて、右側は夕焼けなのか夜の訪れがはっきり見え、左側はまだ空が明るいようにも見えます。
舟人たちの姿が見えますが、なんだかぐったりしていて起きているのか寝ているのか。彼らは舟の帆の右側にいますので、いわば夜の領域。舟の通い路に身を置く彼らは人目に出合うことがなく、ぼんやりと海を眺めるだけなのでしょうか。

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伊勢という人は古今和歌集の時代の代表的な歌人です。女性ではぴか一といえるでしょう。恋多き女としても知られますが、むしろ男性に言い寄られることの多かった人、というべきでしょうか。彼女と交渉のあった男性には宇多天皇がいますし(皇子も産んでいます)、藤原仲平、時平兄弟もいます。藤原時平、もちろんあの人ですが、どうか「しへい」とは読まないで下さい(笑)。
彼女が「伊勢」と呼ばれるのは父親が伊勢守だったからです。当時の女性は宮仕えなどしますと女房名として父親、兄弟、夫などの官職で呼ばれることが多かったのです。清少納言、紫式部、和泉式部、赤染衛門などすべてそうです。「清」は清原氏、「赤染」は赤染氏の意味ですが。

    難波潟短き葦の節の間も
      逢はでこのよを過ぐしてよとや

難波潟に生える葦の短い節と節の間ほどのあいだも逢わないでこの世を過ごせというのですか、という恋心を詠んだ歌です。

伊勢

この絵は瓦の葺き替えをしている場面です。周りの家よりずっと高いのはここが二階だからです。梅が咲いており、おそらく一月から二月。
庶民の家には普通二階などはなく、板葺きが多いですから、なかなか贅沢な家なのでしょう。
ところで、この舞台となっている場所はどこでしょうか? 難波潟に決まってるじゃないか、というお考えももっともです。しかしどちらかというと遠景は

    川の土手道

に見えませんか? この浮世絵は江戸で売られたものですから、むしろ江戸の人にとってなじみのある場所でもいいじゃないかと思います。ここはあるいは向島なのではないかという説もあるようです。ということは隅田川ですね。なるほど、そういわれてみるとそんな感じがしないではありません。ただ、もし本当に向島から対岸を見ている場面を明確に描こうとしているなら対岸に何らかの目印を描きそうですから、北斎としては仮に向島を意識していたとしても、特にその場所を特定しようとはしていないのかもしれません。いわば「向島のようなところ」。
手前の窓辺に寄りかかっている女性はなんとも色っぽい年増で、右の女性には眉がありますのでまだ若いでしょうね。
誰を思って「あはでこの世を」という気持ちになっているのかはわかりませんが、なかなか会えない人なのでしょう。なかなか会えないといっても、彼女は眉を落としていますから、夫があるはず。その人に会えないということはあるいは彼女はおめかけさんなのでしょうか。
難波潟の葦の節と節との間などという、短い空間を時間に移してその短い間も逢わないで生きろとでもおっしゃるのですか、といささかのうらみも感じます。
水辺に見えるのは葦なのでしょうか? そういわれてもよくわかりません。私がむしろ気になるのは瓦であり、対岸の田地なのです。どちらも四角くてわずかに隙間があります。瓦職人たちはせっせとその隙間をできるだけ狭くして瓦を置いていきます。葦原の節の間などとても見えませんが、その「短さ」「狭さ」を誇張するのがこの瓦なのではないかと思ったりするのです。

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