百人一首姥がゑとき(八) 

元良親王は陽成天皇の皇子です。皇位に就けない親王にしばしばみられるように、とにかく風流というか色好みというか。「美人と聞いたら、逢った人であろうとなかろうと手紙を書くのが常であった」とか、「一夜めぐりの君と言われた」とか言われるほどで、多分私よりうわてです(笑)。とてもよく通るいい声だったとも言われます。
中でも有名な話は、宇多法皇に寵愛され、三人の親王を生んだ藤原褒子との関係。仮にも法皇の妃ですから、普通なら高嶺の花でとても手が出せる人ではないのです。ところが彼はこの人にも激しく思いを寄せて「自分の命なんてもうどうなってもかまわないから逢いたい」とまで訴えたというのです。その歌が

  わびぬれば今はた同じ
    難波なる身を尽くしてもあはむとぞ思ふ

なのです。失意のどん底に落ちてしまったのだからもう今はどうなっても同じこと。難波にある澪標(みをつくし)ではないが、身を粉々に砕いてでもあなたに会いたいのだ。ここまで言われると嬉しいのか怖いのか、女性心理はよくわかりませんが、かなり思いつめていますよね。こういう気持ちになることは若い男には往々にしてあるものだと思います。

元良親王

これは専門家の人の解説で知ったことですが、右遠景に家々と帆柱が見えるのは、江戸の佃島の風景さながらであるとのこと。すると手前ははるか西の東海道でもありましょうか。品川の台場あたりとか。海辺には杭が何本も打ち込んであり、これも澪標を思わせます。もっとも、「佃島」から左側に山が続いていますし、築地の本願寺の屋根などは描かれませんから実景ではなく、「借りた風景」ということになるとは思います。佃島は申すまでもなく大坂の佃からやってきた人たちの集落ですから「難波なる」が表現されているのかもしれません。帆柱は澪標をなぞらえているのかも。その方角を見ているのは、荷物を持たせた子供を連れた女性の二人連れ。しゃれた藍の傘と渋い茶の傘が年齢を暗示しているように思います。母娘ほどの年齢差があるのかもしれません。「道行旅路の嫁入」というわけではなくとも、江戸市中に向かうと思われる二人を待つものは男なのかも知れないと想像させられます。左隅の家は彼女たちの実際の目的地ではないかもしれませんが、

    「待つもの」

の象徴のようにも感じます。元良親王の歌は男性が女性を狂おしいほどに思慕する内容ですが、これは逆なのでしょうか。
とは言ったのですが、実はこの絵で一番目立つのは左側の牛とそれを曵く男の姿です。牛はなかなかいうことを聞かず、男は目一杯力を入れて曵いています。その姿勢からはやけっぱちになっているとさえ感じられるのです。思い通りにならないので

    自暴自棄

になっている男。これって、元良親王と変わらないじゃありませんか。牛の背中には女性を思慕するあまり抑えがたくなった男性の象徴のようなわら束、澪標のようにも見えるわら束です。
右奥の帆柱、中央の杭、左手前のわら束。これらがほぼ画面を斜めに横切るように描かれています。

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素性法師は遍照の子です。お父さんは「少女の姿しばしとどめむ」と詠み、それが百人一首入りましたが、素性の歌もまた恋歌が採られています。

  今来むといひしばかりに
    長月の有明の月を待ち出でつるかな

もともと古今和歌集に採られた一首で、「あなたがすぐに行くからとおっしゃったばかりに長月の有明の月が出るまで待ち続けてしまいました」と、これは女性の立場から詠んだ恋歌です。こういう具合に、男性が女性に代わって恋歌を詠むのは珍しいことではありません。代作をすることもありますし、そうではなく一種の趣向として詠まれた場合もあります。「待ち出づ」というのは「出てくるまで待つ」ということです。
長月は

    晩秋

ですから夜長です。しかも有明の月と言っていますので下旬のことで、もう冬も近い時期です。徒然草にもでて来る「長月二十日あまりの頃」というと、極めしみじみと物寂しい時期です。そんなときにあなたが「すぐに行く」とおっしゃったから、今か今かと待ち続けていたのに、とうとう有明の月が出てしまったというわけです。夜の冷気も降りてきて、私の心も冷え冷えとしてきました、と訴えているかのようです。

021素性

この絵の主人公は誰なのでしょうか?
普通に考えると、手前にいる「親孝行な息子」と見える人物でしょう。夜にもかかわらず寺に詣でようとする老母に付き合っている息子、といった感じです。老母は数珠を持って足取りも重そうにとぼとぼ歩き、せがれは松明で道を照らしながら母がつまずいたりしないか気を配っているかのようです。でも、彼が主人公ならこの歌とはあまり関係ありそうにないのです。
ある程度の年齢の男は母親孝行をしすぎると奥さんに恨まれたりします。「マザコンなの?」と言われたりして。
この絵の中央奥に障子を開けて身を乗り出すようにして外を見ている女の姿があります。彼女は誰で、何をしているのでしょうか。この親孝行な男が通う妻なのか、あるいは別の男を待つ女なのか。いずれにしても、久しぶりに男から「すぐに行くから」と便りがあったので準備をして待っているにもかかわらず、相手の男は何をしているのか来ないのです。
有明の月は夜遅くに出ますので日暮れ時から彼女は待ち続けているのです。
月は細く、ほとんどが陰になっています。
もし孝行息子の妻なら、「自分を差し置いてあんなおばあさんと歩いている!」と怒っているのでしょうか。

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