百人一首姥がゑとき(九) 

百人一首には菅原道真も含まれているのですが、名前の印象が薄いかもしれません。それもそのはず、「菅家」としか書かれていないのです。いわば「菅原さん」。これでもう道真その人を表すわけで、彼は数多い菅原氏の人々の押しも押されもせぬ代表格。  
彼の歌は

  このたびは幣も取りあへず
    手向山
     紅葉の錦神のまにまに

です。「今回の旅では幣も用意していません。手向山には紅葉の錦を奉りますので神の御意思のままにお納め下さい」。宇多上皇が奈良方面に御幸したときに道真が同行し、その折りに詠まれたもののようです(古今和歌集の詞書による)。「このたびは」は「この度は」であると同時に「この旅は」でもあります。旅だから手向山に参るのです。手向山は奈良東大寺三月堂の南にある手向山八幡宮を指すともいわれます。実際、この神社に行くと道真の「腰掛石」があり、「このたびは」の歌碑もあります。しかし「手向山」とは本来は旅の安全を祈って幣を手向ける山という普通名詞であって、手向山八幡宮であると言い切るのは危険ではあるのです。もっとも、北斎はやはりこの神社を意識して描いた可能性は高いと思います。

菅家

石灯籠は参道を思わせ、上皇も道真も手向山に行ったのでしょう。牛は横たわり、轅(ながへ)は(しぢ)に置かれています。
牛車、居眠る舎人、文楽ファンの方ならなんとなく『菅原』「加茂堤」を思い出すのではないでしょうか。上皇などの用いる最高クラスの唐破風仕立てのいわゆる

   唐庇の車

(「唐車」とも)で、珍しい三輪。宇多上皇の車という意識でしょう。
車の主がいないため気分の緩んだ男たちがほぼ二人一組で話したり居眠りしたりしています。右から三人目の頬杖をついている男は牛と向き合っているかのようです。
道真の謹厳な歌とはうらはらにひとときの休息を味わっている男たちが主人公になっています。舞っている紅葉(「黄葉」というべきでしょうか)は画紙のデザインのようになっていて印象的ですが、男たちはそんな優雅なものには目もくれないようです。せっかく紅葉の錦が「紙」の「間に間に」描かれているのに。

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芝居の世界では悪役にされる人間がいて、いささか気の毒ではあるのです。蘇我入鹿や藤原時平は国崩しとして悪の権化のように描かれます。その時平には忠平という弟がいます。この人は貞信公(ていしんこう)といわれました。前の菅原道真の「このたびは」の歌と一対をなしているかのように、紅葉、宇多法皇、随行する詠み手が共通します。

  小倉山峰のもみぢ葉
    心あらば
     今ひとたびのみゆき待たなむ

「小倉山よ、峰の紅葉よ。もし風趣を解するのであれば今ひとたびのみゆきを待ってもらいたい」という歌ですが、洛西の景勝地の嵯峨にある小倉山は紅葉の錦の美しい山です。宇多法皇が大堰川(桂川)に御幸しました。そのとき、あまりに紅葉が見事だったので、息子の醍醐天皇にも見せたいといったのだとか。それを忠平が天皇に伝えるために詠んだのがこの歌だというのです。この歌を載せる『拾遺和歌集』にそういう事情が記されています。つまり、今回の「御幸」(みゆき)のみならず、今一度の「行幸」(みゆき)があるのを待っていてほしいと紅葉に訴えたのです。「御幸」は上皇などの外出、「行幸」は天皇の外出、ともに「みゆき」です。宇多法皇の気持ちを直接表現せず、「紅葉が待っていますからどうぞおでましを」といわんばかりの歌にしたところが忠平の手柄でしょう。

貞信公

紅葉の色鮮やかな小倉山。遠景は大堰川を挟んだ嵐山でしょうか。右手に乗り物があって、紅葉が緑と重なって錦をなしています。貴人に向かって恭しく頭を下げる僧侶。左側に僧、右側に官人。いわば主と客です。貴人は今来たところなのか、帰るところなのか。そして何よりこの若々しい貴人は誰なのか。
実は私は貞信公その人だろうと思っていたのです。彼がまさに帰ろうとする場面だろうと。ところが、浮世絵の専門家が、これは行幸して来た

    醍醐天皇

で、宇多法皇が建物の中にいるのだろうと書かれているのを拝読しました。そうなのか、とポロポロと目から鱗が落ちる音がしました。たしかに、忠平ならむしろ紅葉に向かっていそうですし、僧もここまで深く頭を垂れるものかどうか、不審は残ります。ただ、歌の詠まれた時点ではなく、後日を描くというわけですから、絵解きとしてはずいぶん先走っているのだな、と、それだけが不満でした。そもそも実際に天皇が大堰川まで行幸するなど、そう簡単なことではありません。いくら紅葉がきれいだからといっても「それじゃあ行ってみようか」と言ってひょいと出て行けるはずがありません。そう思い出すと、やはりこれは天皇ではないのかもしれない、と、もとの考えが再び頭をもたげたのですが、いや、これはやはり醍醐天皇で、この場面は歌を詠んだ貞信公の空想の世界なのかもしれない、と思って私は納得した(宇多法皇が室内にいるかどうかはともかくとして)のです。
つまりこういうことです。実際の風景としては小倉山の紅葉が目の前にあり、宇多法皇がこれを醍醐天皇にも見せたいと言った。それを貞信公が歌にした。そして、実際に帝が来るかどうかは別にして、もし来られたらこんな素晴らしい場面になるだろう、と北斎は描いてみせたのではないかと。
右の乗り物のてっぺんに鳳を付けておいてくれたら鳳輦で、葱ぼうずのような飾りがあれば葱花輦で、それなら天皇であることが明確になりますが、それは確認できません。ただ、北斎の浮世絵がそこまで故実を正確に伝えるものかどうかわかりませんので、牛車であっても天皇の可能性は否定できないのかもしれません。
若い貴公子然とした人物の気高さは、天皇と観るに十分だと思います。

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