すき 

「好き」ということばは、我々の日常生活においてはきわめて頻繁に用いられる、いわば簡単な言葉です。
本が好き、お煎餅が好き、秋が好きなど、一日に一度や二度はこの言葉を使うのではないでしょうか。
人間の感情のなかでも割合にはっきりしたもの。白黒が明白。わかりやすいので、それを使うことで対人関係を壊さないなら躊躇せず口にできる言葉です。反対語の「きらい」に比べると使用頻度は高いと思います。

この言葉の本来の意味は、何か自分の気に入ったものに向かって、ひたすら邁進する感情とでもいうのか、

    一途になる、

熱中することです。「昔の若人は、さる好けるもの思ひをなむしける」というのは伊勢物語の一説。昔の若人は、こういった一途なもの思いをしたものだ、ということです。

そして、おもに恋に突っ走ること、つまり「恋の道」に迷うことをも「好く」と言い、これは今でも「彼は好き者だ」などと色男(ぶった人)を揶揄するように用いられます。
また、趣味や芸の道に夢中になることも「好く」であり、和歌に熱中した

    能因法師

などは「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という歌を都で詠み、何とかして白河で詠んだことにしたいと思いつめるあまり、人に会わないようにひっそり籠り、しかし日にはじゅうぶん当たってわざと日焼けをして白河まで行って詠んだふりをしたとまで言われます。彼は「好きたまへ、好きぬれば秀歌は詠むぞ」と人にアドバイスもしたとも伝わります。夢中になればそれでこそ秀歌が詠める、と。

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先日、Facebookで、ある人が380円のモーニング飲茶を食べるためにそれ以上の交通費を払って行った、と書いていらっしゃいました。これぞ「好く」の好例です。
私はすぐに「いいね!」を押しました。

こんにち我々が用いる「好く」という言葉はちょっと気に入っただけのものにも言いますが、昔は何かに

    「凝る」

というレベルまで没頭するのが「好く」だったというべきでしょうか。
このブログをご覧くださるかたの多くは、その意味で「文楽を好く」方だろうと拝察いたします。
ある趣味に凝る、ということから、特に茶の湯のことを「好き」といったりもします。「古田織部守と申して、隠れなき好きの上手なり」(酒茶論)の「好き」はまさに「茶の湯」の意味です。

七月の文楽公演に『鑓の権三』が出ますが、その山場は「すき家」、じゃなくて

    「数寄屋」の段

です。この「数寄屋」はまさに「好き屋」で、茶の湯をおこなうための建物です。
その「数寄屋」の「好き」は「茶の湯の道」の意味であるはずが、あっという間に「恋の道」の意味に変わってしまい、権三とおさゐはその道に迷ってしまいます。なんとも憎い近松の場面設定です。
「数奇屋の段」と言えば私はほとんど織大夫、綱大夫で聴いてきました。あのかたにうってつけの段でした。今回は、なんと呂勢大夫、藤蔵。ご両人は「数奇屋」を「好き屋」にどんなふうに変えてみせるのでしょうか。

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コメント

モーニング飲茶

http://tabelog.com/hyogo/A2801/A280102/28039795/dtlrvwlst/6010953/

♪やたけたの熊さん

……そうそう、これこれ……

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