源大夫の引退 

文楽夏休み公演を前に、九代目竹本源大夫師匠の引退が発表されました。最後まで舞台復帰に意欲を持たれていたようですが、綱大夫時代の最後の頃からはあの文楽劇場ではもう無理だろうと言う声がありました。私は無責任なことはいえませんのでなんとも申しませんが。
何度か書いたと思うのですが、私にとって

    最初の太夫

つまり最初に「すばらしい」と思った太夫は越路大夫でも津大夫でもなく、当時まだ若手であった五代目竹本織大夫だったのです。
とにかく立派で美しい声で、何でもござれの太夫さんだったと思います。
当時近松作品にはすでに定評があって、「紙屋内」「大和屋」「上田村」「淡路町」「封印切」「豊島屋油店」「六軒町」「大経師内」「数奇屋」「天満屋」「甘輝館」「楼門」などずいぶん聴かせていただきました。
もちろん近松作品だけではありません。「尼崎」「長左衛門切腹」「寺子屋」「熊谷陣屋」「金閣寺」「菊畑」「十種香」「先代萩の御殿」「岡崎」「長局」「金殿」「一力の由良之助、平右衛門」「橋本」「城木屋」「野崎村」「鰻谷」「新吉原揚屋」・・・。
水も滴るような色気のある語り、闇の描写、危機感の表出、あふれんばかりの芝居心、たたみかける迫力。
フシになると高音がつかえることはあっても、そんなことはどうでもいいとさえ思いました。
義太夫とは

    こうして語る

のだ、というお手本のような気がしていました。
泣かされる住大夫に対して、私はいつも感心して聴いていました。

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お弟子さんが育たなかったのがほんとうに残念です。ありあまるほどの知識や経験をお持ちなので、それを受け継ぐきちんとしたお弟子さんが育っていたら、と思わずにはいられません。
源大夫を襲名する少し前から病気がちでいらして休演が増え、再びお姿を見ないままの引退ということも残念です。
「まだそれを言うのか!」とお叱りを受けそうですが、住師匠と一緒に

    口上

だけでも出ていただけたらと思っています。
桂米朝師匠はさまざまな舞台でいすに座りながら口上をなさったりよもやま話をなさったりしていました。
口上が大げさなら、幕間にロビーでお顔を見せてほしいなとまで思います。そんな残酷なことを言うなと、これまたお叱りをいただくでしょうけれど。
我が青春の竹本織大夫、重鎮綱大夫(私にとってはここまで)、結果的に隠居名のようになってしまいました(それでよかったのかも)が源大夫、ほんとうにご苦労様でした。
私はあなたの語りが大好きでした。

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コメント

織大夫

病気がちの源大夫時代では想像できないかも知れませんが、織大夫のころはどの演目でも「失敗がない」というのか「好調、不調の波がない」というのか、とても充実して安定した床でした。

卓越した資質を見込まれて、常磐津からスカウトされたと聞いたことがあります。

住大夫と同様に「最後に一度、満足できる語りをしたかった」と心のうちで思っておられたこととお察しします。

♪やたけたの熊さん

学生の頃、栗崎碧監督の映画『曽根崎心中』(昭和56年)を観ました。全段を通して織大夫、清治(道行は呂大夫、清介らが加わる)でした。
織さんはあの時まだ40代でいらしたのですね。ほんとにいいお声で聞き惚れました。
お声が出にくくなってからは私が聴けなくなったので、なんだか奇縁を感じます。

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