一世一代 

咲大夫さんがこの公演で

  『女殺油地獄』「豊島屋油店」

を語り納めにされるそうですね。
私はこの演目に関しては織大夫さんの印象が一番強いのです。住大夫師も何度か語られましたし、覚えてはいますが、印象ということになると織さんです。最近は咲大夫さんの独擅場でしたが、私の方がダメになったので印象は薄いのです。
怪しいばかりの夏のけだるさ、不吉の予兆、与兵衛の周りの人々の温かさ、与兵衛とお吉の心のすれ違い、緊迫感、荒れ狂う油の地獄。
どれをとっても織さんのものだったな、と回想しています。
殺しの場面は説明的にならずに

    じりじりと過ぎて行く

時間を感じさせながらテンポを上げ下げして行かねばならぬと思います。
今後この場を語る太夫さんとして、咲さんは「この人に」という方はおありなのでしょうか。


    八世綱大夫、十世弥七

が作曲されながら、本公演ではなさらなかったそうで、しかし綱師の愛弟子織大夫、実子の咲大夫がきちんと跡を継いで人気演目として定着させられました。
この作品はどこをとっても現代に通ずるもので、姦通や妻敵討ちとは違って誰にでもすっと受け入れられる新しさがあるような気がします。
これからも人気演目であり続けるのではないでしょうか。

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一世一代ということばがあります。今では「一世一代の大仕事」という具合に「一生のうちにまたとない」あるいは「一生に一度の

    晴れがましい」

という意味で使われます。昨年、ボストン・レッドソックスの上原投手が成し遂げたような仕事はこれに当たるのではないでしょうか。もう一度やれと言われても、機会に恵まれるとは限りませんから、こういう仕事ができるのは幸せですよね。私にはなかったな(笑)。
もともとは能や歌舞伎の役者がつとめる晴れ舞台のことで、さらには役者が引退を前提につとめる舞台のこともいうようです。
『艶姿女舞衣』「生玉」にも「ご当地ご贔屓の中山新九郎殿、このたび角の芝居で一世一代をいたされました」とあります。
そして、その後はある演目や役を演ずるのをこれきりにする、という意味でも使われます。最近では歌舞伎の『曽根崎心中』で

  坂田藤十郎一世一代のお初

がありました。
せれに倣うなら、咲大夫さんも「一世一代の豊島屋」ということになるのでしょう。
余力を残して後進に譲るというのは、私は潔くていいことだと思います。
大事なことは、次世代の人が今のうちに咲さんにしっかり稽古をしてもらって自家薬籠中のものにすることです。次世代のかた、どうか

    我こそは

と、手をあげていただきたいものです。

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