かみなり太鼓(3)ー私だったら、という妄想 

教えていただきたいことがあるのです。
小佐田定雄作「かみなり太鼓」の冒頭は

    「あつ(暑)い」

で始まりましたが、あれはどんなふうに語られていたのでしょうか?
どなるように大声で「あついっ!!」という感じなのか、大声を出すこともできないほどのけだるさで「あつい~!」なのか。あるいはそれを組み合わせて変化をつけたのか。
小佐田さんが作られたことをよく表すのがこの冒頭の「暑い」ではないかと思いました。
暑いことを「暑い」と言う。ほかに言いようがないほど暑いので、ずばりせりふ、ことばで「暑い」と言う。このあたりはせりふを大事にする落語の作家さんらしいところなのではないか。
いわば直球で暑さを表現しているわけです。日本ハムの

    大谷選手級の

速球をずばっと投げ込んでおいて、小佐田ワールドに引き込んでしまおうとしている、とも言えるでしょうか。浄瑠璃の枕というよりは落語のマクラ。
私だったらきっと(お決まりではありますが)天神祭の描写から始めるだろうなと思うのですが、そこが小佐田さんらしいところなのではないでしょうか。
どちらがよいということではなく、カラーの違いだろうと思います。

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この芝居でもうひとつ気になったのはツメ人形がいないこと。出ませんでしたよね?
たとえば、私だったら冒頭で寅ちゃんを素っ裸で出さずに、まずはツメで暑さを表現するだろうと思います(これは結末と呼応させる)。つまり天神祭を楽しみにする庶民を出すということです。
素っ裸は教育上よろしくない、とは申しません。むしろ男の子が裸で走り回っているのは夏らしく、健康的な感じすらします。
でも、人形の素っ裸はどうも

    さまにならない

ような気がするのです(人間だと違う意味で危険ですが)。
そして話が家の中になって、褌姿で腹掛けを振り回している寅ちゃんを追い回すおかあちゃん。あとに続くおとうちゃん。二人で取り押さえて浴衣を着せる・・・。というような進み方です。笑いがなくなる? たしかに。やはり私は小佐田さんと違って笑いを作るのは下手です。
それから、以前も書きましたが、廻り舞台はどんなものでしょうか。普段文楽を観ていない人にはあのほうがわかりやすいのかな? 舞台機構を見せて目先を変える意味もあるのかもしれませんが。
最後の場面はやはりツメ人形が出てもいいかなと思います。ただし、その時はいったんトロ吉は姿を消して、天神祭の様子を描いてみる。そして寅一家が出てきてツメが消えるとふたたびトロ吉が空の雲から顔を出すような。

いや、いい加減なことを書きました。
悪口のように思われるかもしれませんが、より

    魅力的な親子劇場

のあり方を考えたいという気持ちだけで申しました。

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コメント

冒頭の「暑い」は、初日と千秋楽では変わったものになってました。
初日は、どちらかといえば「熱いっ!」という感じで、灼熱地獄というか、地獄の釜茹にあって、苦しんでいる風に感じました。
三味線も、熱風という感じで、違和感を感じました。
千秋楽に聞いた時は、「あ~つ~い~~」で、蒸し暑くて汗ダラダラな感じがしました。
演者の方々も、色々と考えてらっしゃるのですね。

♪くみさん

ありがとうございます。こういうことは教えていただくほかはないので助かりました。
嫌になる暑さをどう表現するか、考えられたのですね。
寅ちゃんの気持ちで「あつい」と言っているとは限らない感じですね。
回り舞台を使うなら、道行く人(ツメ)を出して暑さを表現し、舞台を回して家に入り、寅ちゃんが出てくるようにしてはどうか、とも思いました。

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