月のひかり 

昨日は中秋の名月だったようです。
旧暦ですと八月半ば。もう秋のまっただなかです。
太陽の光は明るすぎて、太陽がどんな姿をしているのかはよくわかりません。いや、現代科学をもってすればよくわかるのでしょうが、私のように

    平安時代

に生きているものにとっては謎なのです。
朝日や夕日を観るとどうやら丸いらしいということはわかるのですが、色や模様はどうなっているのか、観察できません。
それにひきかえ月は実によくわかります。
世界各国であれはカニだとかウサギだとかいわれる模様まで見えます。それだけに昔から愛されてきました。
「名月」はありますが「名日」はありません。和歌でも月は詠まれますが日は詠まれません。
漢詩では白居易の「八月十五日の夜、禁中に独り直し、月に対ひて元九を憶ふ」があります。
  三五夜中 新月の色
  二千里外 故人の心
と白居易は友人元九を思って詠みます。十五夜の月を見ながら二千里離れたところにいる旧友を思う、というのです。
私ももう会えなくなってしまった友人がいます。満月を観るとやはりこの白居易の気持ちがわかるような気がします。
白居易が子を亡くしたあと妻に贈る詩にはこんな一節もあります。
  月明に対ひて往時を思ふなかれ
  君が顔色を損ひ、君が年を減ぜん
月を見て昔を思ってはいけない。君の顔色を悪くして年を取らせてしまう、というのです。
なんだかどちらも哀しいです。
陰とされる月には何かそういう寂しさを誘うものがあるようです。
以前竹取物語について書いた時に、月を観ることは忌むことである、という当時の考え方をご紹介したこともあります。何か不吉な感じもあるのですね。

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百人一首にもある大江千里の

  月見ればちぢにものこそ哀しけれ
    わが身ひとつの秋にはあらねど

も月わ見て寂しく感じています。
この歌は古今和歌集に入っているのですが、そこでの次の歌は

  ひさかたの月の桂も秋はなほ
    紅葉すればや照りまさるらむ

壬生忠岑のこの歌は月に生えている桂も秋になると紅葉するから月はいっそう照りまさるのだろう、としゃれています。
ただ、古今和歌集には意外に秋の月を詠んだ歌は多くありません。秋には萩、雁、七夕、霧、鹿、女郎花、藤袴、きりぎりす(コオロギ)、松虫、ひぐらし、すすき、紅葉、菊、など、素材がたくさんあります。
日本人がもっとも好きな季節、かもしれません。

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