八百屋お七 ゆかりの地(二) 

お七ゆかりの史跡は東京だけではありません。
千葉県に八千代市という町があります。お七はここの出身であるという伝承があって、

    長妙寺

という寺(千葉県八千代市萱田町640)には墓があります。お七は八千代の生まれで、名前もこの寺の七面天女からもらったと伝えており、江戸の八百屋徳兵衛に養子に行ったというのです。彼女が処刑されたあと、実母が遺髪をもらってここに供養したということです。
千葉県どころではありません。岩手県にもお七ゆかりの寺があります。酒井くにお、とおるという漫才コンビをご存じでしょうか。このお二人は関西で活躍されながら、不思議な方言があるのです。実はお二人は岩手県の水沢出身で東京を経由して関西に来られたのです。水沢は今の奥州市水沢区です。お兄さんのくにおさんはインテリ漫才師で、国立の東京教育大学(後の筑波大学)に入られた経歴をお持ちだとか(卒業はせず)。水沢というと高野長英や後藤新平を生んだ町でもあります。それはともかく、水沢に

    法泉寺

というお寺(奥州市水沢区寺小路41−1)があって、そこには吉三郎ではなく三吉の墓と言うのがあり、さらにお白粉地蔵というお七を供養したお地蔵様があるのだそうです。ここにも私は行っていません。

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静岡県の島田市には関川庵(島田市河原2−11−20)があって、ここには吉三の墓があります。全国を行脚していた吉三郎はここで命絶えたと言われ、墓があるのだそうです。
東日本だけではありません。岡山市御津吉尾というところにお七と吉三郎の墓があるのです。お七の親が岡山の誕生寺にお七の供養を頼んだという伝えがあるそうです。ここではお七の相手は生田庄之助で、吉三郎はお七に火付けをそそのかした男です。東京の円乗寺の伝えを思い出してください。吉三郎が反省してこの地にやって来たのだそうです。お七の墓は

    三角形

をしています。
島根県にも吉三郎(こちらは恋人のほう。ややこしいです)の墓があります。やはり彼が西運となって全国を行脚したという伝承によっています。島根県

    仏谷寺

というお寺(島根県松江市美保関町美保関530)の中にあります
関西では奈良県の常光寺(奈良県大和高田市旭北町2−52)に西鶴の『好色五人女』のお七のモデルになった「しち」という女性の墓があります。
このほかにもあちこちにお七や吉三郎のゆかりの地はあるようです。
平安時代の歌人、小野小町や和泉式部も全国に墓などがあるのですが、彼女たちは歌才と美貌、そして誕生の秘密や流浪のゆえに各地でこういう形で親しまれ、愛されたのです。江戸から離れなかった上、自らは和歌を詠んだわけでも物語を書いたわけでもありませんが、八百屋お七はその意味では江戸時代随一の人気女性なのかもしれません。
今でも時代劇はもちろん、小説の題材にもなり、愛され続けている八百屋お七です。

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