米屋の姉弟 

普通、『双蝶々曲輪日記』を楽しむとあれば、メインは「橋本」「引窓」ですよね。
私も以前はこの二つの段が好きでした。今回は二人の切語りが語られるのですから、余計に興味深い段になったことと思います。
しかし今や

    人形ウォッチャー

となった私の場合はそうともかぎらないのです。
もちろん甚兵衛は楽しみにしていましたし、お早は堪能しました。
でも、今回私はなんといっても「大宝寺町米屋」を期待していたのです。
ここは

    姉お関 と 弟放駒長吉

が中心です。
今回の人形はお関=勘弥、長吉=幸助というコンビでした。
お関について注目していたのは、ほかの荒くれ者の男たちの中でどれだけの存在感があるのか、彼女が弟を戒めるために図った計略をどれほどそ知らぬふりをして肚だけで見せるのか、本音がちらつくところがあるのかなどでした。

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幸助さんの長吉は「放駒」というしこ名にふさわしい奔放な人物でした。無茶もするけど、勇ましい。
私は幸助さんの人形を観ているとこれまではどうにもご本人の姿が前に出て目障りだったのです。イケメンだから余計に腹が立つ(というのはウソですけど)。
ところが、今回観ていると、あの長身の幸助さんがあまり大きく見えなかったのです。実際の背は高いです。見ればいつもと同じです。ところがあまりそれを感じないのです。それほどに

    人形が大きく見えた

のでしょう。こういう錯覚は、襲名直前だった勘十郎さん(つまり当時の吉田簑太郎)に感じて以来です。
幸助さんは浄瑠璃をかなり読み込んでいると思われ、「ここでもう動くのか」と思うぎりぎりのところで動いて来るので、邪魔にならない上によく目立ちました。私のことばでは「自分の時間」で動いている、という感じでした。
「引窓」だけを上演されると「双蝶々」にならないのですが、ここでこれだけの演技を見せてくれるとタイトルにも頷けました。
「大宝寺町」のお関の企みは、たくらみとしてはあまりおもしろいものではないと思うのですが、そういうことはともかくとして、人物像に勘弥さんの味がよく出ていたと思います。ならず者たちに対して嫌悪感を見せるわけでもなくそっけないほど日常的な対応をする彼女の

    独自の存在感

があったと思うのです。
困った弟を思う姉はいつの時代にもいます。姉と弟という関係は私もいささか興味があって、埋もれたままの新作浄瑠璃に書いたことがあります。弟も、偉そうにいってもどこかで「お姉ちゃんが怖い」という面があります。
そんな姉弟の関係をお二人はよく描かれたと思っています。

というわけで、この「大宝寺町」はけっこうおもしろく拝見できました。

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