白髪の婆 

文楽十一月公演の夜の部は

    奥州安達原

の三段目から四段目でした。
三段目は長大な「環宮明御殿」がありますが、何だか話がよくわからないまま始まるようで、いつも苦労します。今回は「朱雀堤」があるので少し助かりましたが。
余談ですが、京の町はもともと朱雀大路(今の千本通にほぼ一致)を中心にして東西同じ大きさの町が構成されていました。しかし次第に西側が廃れて、東は鴨川を越えて栄えるようになります。ですから、もともとは

    東河

と呼ばれていた鴨川が京の中心を流れるかのような川と認識されていったようです。鴨川に程近い東京極大路はもともと京の東の果てでしたが、やがてメインストリートの役割を持つようになり、この通りを「東朱雀大路」とも呼んだといわれます(東大路のさらに東に設けられた道が東朱雀大路だという説もある)。さらに南北朝の始めのころに今の京都御所が里内裏として使われ始め、その後は明治維新まではすっとあの地が内裏であり続けたので、完全に京の町は東が中心になりました。そこで鴨川も

    朱雀川

とまで呼ばれるようになったのです。

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さて、『安達』の三段目です。
玉女さんの桂中納言はなかなかのものだと思います。菅丞相もそうですが、公家の格調をきちんと見せてくださったように思います。菅丞相は首が孔明ですからおのずから品格も出ますが、こちらは文七。そのが難しそうです。それでも堂々としていて、ほかの人物とはまるで違った品があり大きな姿でした。あとは貞任の正体を現したあとの豪傑ぶりへの変化。動きの面でちょっと物足りなく思いました。
ツイッターなどの感想ではあまり書かれていませんでしたが、私は

    勘寿さんの浜夕

がよかったと思います。雪の降りしきる中、彼女の周りだけは温かなものを感じました。この公演では勘寿さんが男女の老人を演じてそれぞれに味があったと思います。ただ、勘寿さんはいつも人形を見過ぎるところがおりなので、それがどうにも気になります。
簑次さんがお君をきちんと演じていました。若い若いとおもっていた彼ももうデビューから丸15年の33歳。まだ若いですが(笑)、やはり芸は格段の進歩を見せていると思いました。しばらく子役を遣って、表現力を磨いて簑紫郎さんに負けぬ存在感のある若手を目指していただきたい。
道行は簑二郎、勘弥。勘弥さんはわりあいにあっさりした表現が多く、ここもそうなるのかなと思っていたのですが、いい意味で思いのほかに濃厚な人物でした。簑二郎さんはもともと濃いほうですから、若夫婦とはいってももう馴れた「寝姿恥ぢぬ仲」のよさを感じました。
「一つ家」は勘十郎さんの独擅場かと思っていましたが、脇の人たちもしっかり見せていました。中でも感心したのは玉勢さんの旅の男。がさがさとした動きの人物ですが、形を崩さずなかなかおもしろく観ることができました。
ネット上ではやはり勘十郎さんの岩手が絶賛されていましたが、私は実を言うといまひとつ物足りなく思っています。怪談ではないので過剰なことはしなくてもよいとは思いますが、もっと岩手で怖がらせてほしいと思いました。

    あとにすっくり白髪の婆

のあたりなどもっと奇抜な演出はできないものかとすら思いました。登場の仕方にせよ、照明の使い方にせよ。
下手小幕を少し開けて恋絹が家を駆け出て下手いっぱいのところでゼイゼイ息を切らしているすぐ後ろからぬっと出てくるような形とか。邪道かもしれませんが。
勘十郎さんのお顔がやや怖い(笑)。岩手の人形を上回らないように、もう少し無表情に、端然と構えてもらえないだろうかと感じました。
岩手が恋絹を殺す直前の二人の動きなのですが、恋絹を追い詰めるような形になっておらず、岩手はもっと頻繁に恋絹に目を配るほうがよいのではないかとも思いました。

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