座産 

看護学科の学生に授業をしていると思わぬところで思わぬ反応があります。
この間、竹取物語の話をしているとき、平安時代のお産のことに触れたら

    詳しく知りたい

という希望があって、こうなると私は授業そっちのけで余談に突入するのです。
彼女たちの中には助産師を目指す人がいます。そして看護の専門の授業で現代の助産の技術についてもきっと勉強しているのでしょう。
私の場合はあくまで平安時代の貴族の記録による話です。
以前にも少し書いたことがあるのですが、あらためて当時のお産についてメモしておきます。
お産は穢れでもありました(これをいうと学生は怒ります)ので天皇の奥方は内裏で出産したりはしません。実家に帰るのが普通です。今でもこういうことをなさる方は多いですよね。やはり実家のほうが気楽なのでしょう。
しばしばお産は庭(に建てた小屋)でおこなうという例を聞きます。近年まで(ひょっとしたら地域によっては今でも?)そういうれいは一般家庭でもあったようです。
しかし平安貴族は基本的にそれはしません。
藤原道長の娘彰子は一条天皇の中宮になりますが、最初の子を産んだのは寛弘五年(1008)九月のことでした。実家の
 
    土御門第(今の京都御苑内)

には彼女はもちろん、女房たちも一緒に移ってきます。ということは紫式部もいるのです。
読経が行われますが、これも学生にとっては意外なこと。出産にお坊さん? という素朴な疑問ですね。しかし当時は当たり前でむしろその読経の荘厳さが大切だったのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

いよいよその日が近づくと調度品や装飾などを白一色に統一します。彰子も白い帳台に移ります。
物の怪が現れますので、憑坐よりまし)に移して調伏します。霊たちもなかなかのもので、とりつかれた憑坐は大きな声を出したりします。祈祷する僧は頭から湯気を出す勢いです。陰陽師も祓えを行います。
九月十一日、寝殿の北の障子を二間取り払って北側の廂に移動します。
当時は

    座産

です(下図は授業で使ったパワーポイントのスライド)。

座産

もののけはさらに強くなり、産婦は苦しみます。少しでも仏の加護を得ようと形ばかり髪を切ります。邪気を祓うために

    散米(うちまき)

をおこないます。米をまくのです。
そしてついに午の刻に男子が誕生しました。これが敦成(あつひら)親王です。僧には布施が贈られ、医師、陰陽師その他にも禄が与えられます。
内裏から守り刀が届きます。
へその緒は道長の妻(新生児の祖母)が竹の刀で切ります。乳付けといって、最初に乳を含ませる役目の乳母もいます。この人は新生児の父親(一条天皇)の乳母でもあります。実際に母乳が出るかどうかは関係ないのです。
6時間ほどして湯殿の儀がおこなわれます。
祖父の道長が抱いて、刀と虎の頭(剥製でしょうか)で守ります。
読書博士が『史記』の一節を読みます。二十人が鳴弦をおこないます。
このあと、三日目から三日の産養(うぶやしなひ)、五日の産養、七日の産養、九日の産養がおこなわれます。八日目には白一色だった装束が元の色に改められます。
これだけの儀式がありながら、天皇とは不自由なものです。いっさい出席することはできなかったのです。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3354-030d1aa7