時候の挨拶 

平安時代の貴族は手紙のやり取りをするとき、しばしば木の枝を添えることがありました。文付枝(ふみつきえだ)と言われることもあります。もみじの真っ赤になったのを添える、橘の花を付ける、梅の枝を託す。「木の枝」といいましたが草花でもかまわないのです(しおれやすいですけどね)。リンドウだのオミナエシだのキクだの、季節を感じさせるものです。松を添えることもありますが、この場合も雪持ち松にしたり、藤のかかるものにしたりして、

    季節を感じさせる

こともあります。
手紙の内容とその枝(花、葉)がうまく響き合うと、手紙がさらに映えるのです。
植物は和歌を思い起こさせることもあります。
たとえば橘の花というと、平安時代の人は多くは

    さつき待つ花橘の香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする
            (古今和歌集)

の一首を思い出します。橘の香りは昔の人の袖の香りなのです。
和泉式部は初夏のある日、前年の夏に亡くなったかつての愛人であった親王をしのんでいると、その弟宮から橘の花と「いかがみたまふ(これをどのようにご覧になりますか?)」という言葉が届けられます。
「昔の人」すなわち亡き兄宮の香りがするでしょう? という意味で、こういう具合に絶妙のタイミングで心を揺さぶられるとぐらぐらっときてしまうのです。

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私が実施している授業での、敬語の話の応用編は手紙を書くことです。
会話以上に敬語に気をつけねばならず、しかもそれ以外の要素もありますので手紙を書きこなせるようになることは綿足がこの授業の一回目に話す

    エレガントな女性

へのステップかと思います。口元に手を持っていってピースサインをして目をぱちくりさせて口角を上げて首を傾けて、目いっぱいかわいくプリクラを撮るのもいいでしょう。でもそれって高校生みたいじゃない? そろそろ済ました顔でむしろ清楚な感じさえする自分の写真の一枚もあっていいと思いませんか? エレガントな私、という一面があってもいいと思うのですよ。
手紙を書くこともその一つです。
しかし、「内容が伝わればよいのでは?」という意見が必ず学生から出てきます。

    「時候の挨拶

を書く意味がわかりません」とも。
手紙は相手に意味が通じればいいといいますが、「おい、先生、今日も授業、ご苦労だったな」という言葉で「先生、今日も授業でいろいろ教えてくださってありがとうございました」という気持ちが伝わりますか?
時候の挨拶は千年前の貴族なら実際の木の枝を使って季節を表現し、手紙の内容を補い、さらに相手に気持ちよく読んでもらうための工夫としたのに等しいと思います。そういう心が季語となって俳諧(俳句)の世界で生きているのだとも思います。俳句は挨拶の文芸という面もあると思います。
そういう心をこの国の人は大事にしてきたのです。「この国」というよりも、「この文化」というほうがいいかもしれません。この文化を大事にしてきた人は連綿として手紙を美しいものとしてエレガントな表現を心がけてきたのです。
あなたも時候の挨拶をしみてみませんか? と20歳前後の彼女たちにお話しているのです。

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