闇と光 

伴大納言絵巻を観ていて、いろいろ考えることがありました。
冒頭の応天門火災の場面、人々が飛ぶが如くに朱雀大路を駆けていくのです。いったいこれは何時ごろなのか?
夜陰に紛れて伴大納言が放火したことになっており、また、駆けつける検非違使の先導役の

    火長(くわちやう)

松明を掲げているので夜なのだろうと思われます。しかし、画面には闇はなく、明るいことこの上ないのです。
闇を闇として描いたら何も見えないから当然だ、とも言えそうですが、リアルという観点からはやはり奇妙な感じがします。

同じ絵巻の最後は検非違使が伴大納言を連行する場面ですが、これは何時ごろなのか? 今度は、松明を持っていても良さそうな先導役の

    看督長(かどのをさ)

は何も持っていません。となると夜ではなさそうです。
というように、明るいのかどうかはあまり明確に表現されないのです。そういえば、文楽の舞台も闇でもかなり明るいですが、日本人好みなのでしょうか。

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私も好きですが、日本人は西洋の絵画の中で、

    印象派

を好む人が多いようです。やはり明るい感じがします。
というか、西洋の絵は暗いものが多いですよね。闇の中に光明が射す、という感じ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」の背景は真っ暗。キリストの降誕を描くものも、周りは暗くて、みどりごから光が発するものが多いようです。コレッジョの「羊飼いの礼拝」、バッサーノの「降誕」など、枚挙にいとまがありません。
カラヴァッジョも闇と光を効果的に用いた画家だと思います。収税人のレビに「私についてきなさい」と声をかける「マタイの召命」、迫害者であったサウロが落馬して天を仰ぎつつ回心する「パウロの回心」、亡くなったはずのラザロに「起きなさい」と言う「ラザロの復活」等々。
ラ・トゥールも闇にわずかな光(ろうそくなど)を配して魅力的な絵を描きました。数多く描いた「マグダラのマリア」や、キリストがろうそくを持つ「大工の聖ヨセフ」、やはりろうそくに照らされるヨセフと天使を描いた「聖ヨセフの夢」など。
宗教画に限らず 、西洋では

    闇と光

を描くのが伝統といってよいのでしょうか。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も背景は真っ暗でした。
闇と光、というとライトアップを思い出します。私はあまり好きではないのですが、あれはどこか日本的な美とは違うような気がしています。

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