引退します(1) 

長らく、ほんとうに長らく雑誌『上方芸能』にページをいただいて文楽について書かせていただきました。平成11年夏の公演から始めて15年あまり。まさかこんなに長く誌面を汚すことになろうとは当初思ってもいませんでした。
このたびその役目を終えることをお許しいただきましたので、ここに改めてこの雑誌との関わりなどを記しておきます。
私がこの雑誌を読むようになった頃は若手編集次長でいらっしゃった

    森西真弓 さん

とは同世代ということもあって、けっこう気安く話をさせてもらっていました。文楽の新作を書いていることも彼女はご存じでしたので、あるとき「文楽の新作と未来について」という論文を書けと言われたのです。当時私はやんちゃな怖いものなしでしたので、ホイホイと引き受けてしまい、文楽劇場10周年の特集を組んだ『上方芸能』誌に載せてもらいました。
それがこの雑誌との本格的な関わりだったのです。
同誌の文楽評は最初当時毎日新聞にいらした

    宮辻政夫 さん

がなさっていました。ところが歌舞伎の方もお忙しかったようで、お辞めになったのです。私は「次はどなたかな」と楽しみにしていたのです。すると当時編集長だった森西真弓さんからお便りをいただき、定期購読代金が不払いで催促されるのかと思ったら(笑)「あんた、やって」(実際はもっと丁寧な言葉で)という依頼だったのです。さすがに驚きました。私には宮辻さんのような経験も幅広い見識も取材力もありません。所詮のんきな文楽ファンに過ぎないのですから、技芸を論ずるなんてめっそうもない。いったいどう間違って買い被られたのだろうと不思議でした。

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もちろんすぐにお断りしました。ところが当時編集次長だった広瀬依子さんから電話がかかってきて「こちらもいろいろ考えて依頼しているので、もし引き受けてくれないのならあなたよりさらに

    レベルの低い人

に頼まざるを得ないんですよ」(実際はもっと丁寧な言葉で)と痛いところを突かれました。広瀬さんの、あの淡々とした物言いで説得されると何かに取り憑かれたような気持ちになってしまい、「それは困りますね」というと彼女はニヤッとして(電話なので見えませんが)「ですから、よろしくお願い致します〜」と言われてしまいました。そうなると「しばらく考えさせてください」と言わざるをえず、最終的にはあちらの思うつぼ(笑)にはまってしまったわけです。
「それではとにかく、この夏の公演(平成11年)について書いてみますから、だめならだめということで他を当たってください」と、観劇ノートを引っくり返して、あの

    簑助師匠の復帰公演

であった『桂川連理柵』から書き始めたのでした。編集会議で「これ、あかんで」と思われたかもしれませんが、あちらも引くに引けずだったかもしれません。「まあそのうちよくなるんじゃないか」くらいのお気持ちだったのか、「ではこれを載せます」とのこと。結局ずるずるとお引き受けすることになったのです。
当時は原稿用紙9枚。写真はなく、文字のみのベタな誌面でした。途中から活字を大きくするということで7枚になり、さらに写真が入るようになって2350字(たぶん)になりました。1000字以上減ったわけで、字数減らしに四苦八苦しました。

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